傷ついた「自分自身」との対話から生まれた、寄り添いのアート。/イラストレーター・きのしたむぎさん

イラストレーターとして幅広い分野で活躍する、きのしたむぎさんは、「心の静けさに帰る場所」をつくるために絵を描いているといいます。2025年には、小説家・新堂冬樹さんとのコラボレーション企画『虹の橋のものがたり』も始動。ペットロスを経験した人の心に寄り添う物語が、静かに反響を呼んでいます。
そんなむぎさんの創作の根幹には、子どもの頃に“絵が唯一の癒しだった”という経験がありました。

――さっそくですが、むぎさんのご経歴から教えてください。

私は京都出身で、絵を描くことが好きになったのは、水彩画を描いていた祖父の影響です。
祖父は遊びに行くたびに絵を見せてくれて、「どれが好き?」と聞いていました。その頃は何も考えていなかったのですが、自然と「なぜこの構図が好きなのか」「この色が好きなのか」と考える習慣が育まれていたのだと思います。
いまも水彩を使っているのは、私にとって癒しや家族、自然を表現するのにしっくりくるからです。

ジブリ作品や絵本も大好きで、幼いながらに感じていたストレスをはねのけて、自分だけの世界に浸れる場所でした。いつも「世界がこんな風だったら、あんな風だったら……」と想像していましたね。
中学生時代は美術の時間だけが自分の世界に没頭でき、何も考えずに済む時間でした。
言ってみれば、子どもの頃からアートが自分にとってのセラピーになっていたんです。

――子どもの頃に、何かつらさや不安を感じていたのでしょうか。

4人きょうだいの3番目として生まれ育ったせいか、だれが喧嘩していると自分が止めなきゃと思ったり、親が苦しんでいたら自分のせいだと背負ってしまうような性格でした。
学校では、いわゆる“八方美人”でした。喧嘩をしている人がいれば止めに入り、笑っている人の話には静かに耳を傾ける。逆に場が静かなら、自分が笑いを作ろうとしたり。
いつも周囲の顔色をうかがい、気を遣ってばかりいる子どもでしたね。
家族も友達も大切に思っていたけれど、心のどこかには常に小さなストレスを抱えていました。

小学生のとき、人に気を遣いすぎて心がいっぱいいっぱいになってしまった経験から、中学1年生では沖縄のある島へ1年間の山村留学に行きました。新しい環境で、誰も自分を知らない場所からもう一度やり直そうと思ったのですが、やはり頑張りすぎてしまったんです。

京都に戻り、公立の中学校に通うようになった2年生の頃から、クラスの輪にうまく溶け込めず、ひとりで過ごす時間が増えていきました。3年生になる頃には、これまで仲が良かった友達とも距離が生まれ、どこか反感を買ってしまったり、考え方の違いからうまく関係を築けなかったりして、孤立していったように感じていました。自分の居場所が分からなくなり、心が苦しくなっていった時期でした。

「私って性格が悪いのかな」「どうしたらいいんだろう」――そんな思いでいっぱいでした。
姉は顔が小さく華奢で、子どもの頃から「むぎのお姉ちゃんはかわいいね、きれいだね。でもむぎは……」と言われてきたので、外見にコンプレックスを抱えていました。
だから、こんな私が友達を作るにはみんなに気を遣って、“いい子”でいるしかないと思っていたんです。
その場に合わせて面白い子になったり、静かな子になったり、テストでいい点を取っても絶対に言えない。もう嘘の塊で、どれが本当の自分かわからなくて、ずっと「しんど過ぎて死にたい」と思っていました。

その中で、美術の時間だけは、ほかのことを何も考えず、ただひたすら絵に没頭できました。
コンクールに入選したこともありましたが、当時は単純に好きなだけで、プロになろうとは思っていませんでした。

――とてもつらい経験でしたね……。

クリスチャンだった母が、心身ともに限界に近かった私を心配して、教会の方に相談してくれたんです。そのときに、広島にあるキリスト教系の三育高校という、全寮制の学校を紹介されました。
「試しに見学だけでも」と訪ねてみたのですが、そこで出会った生徒の皆さんが、本当に天使のようで。
以前、いじめから逃れる方法について兄に相談したとき、「今どき、いじめも階層もない学校なんてあるはずがない」と言われて、諦めていました。
それが、この学校で出会う人はみんな親切で、私に向かって笑顔で挨拶をしてくれて。
その笑顔も、いわゆる“作り笑い”ではなくて、心から私を受け入れてくれていることがわって……。この学校に入りたい!と広島三育学院高校にを受験することを決めました。

――三育高校に入学したことが、クリスチャンになるきっかけにもなったのでしょうか。

入学して間もないある日、靴箱に、話したこともない先輩からの手紙が入っていたんです。
そこには、「むぎちゃん、これまで大変だったね。京都から広島に来て、誰も知らない環境でよく頑張っているね。何か困ったことがあったら、いつでも言ってね」というような文面とともに、聖書の一節が添えられていました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

《マタイによる福音書 11章28~30節》

読みながら、涙が止まりませんでした。
その日を境に聖書に興味を持つようになり、自分でも読み始めました。
聖書には、「神さまは一人ひとりの髪の毛の数まで知り、その人を幸せにするための計画を立てている」とあります。
私の中にある嫌な部分や弱さ、家族にも見せられないような汚い部分さえも全部知っていて、それでも「あなたのために命を捨てられるほど愛している」というメッセージを受け取ったとき、やっと“自分という存在を受け入れてもらえた”と感じました。

幼い頃から心の底ではずっと、誰かに認めてほしい、受け入れてほしいと思っていたんですね。そのときはまだクリスチャンという言葉も知らなかったけれど、神様を信じて生きていきたいと思いました。
初めのうちは、周りの人たちがあまりにも優しくて――以前の環境とのあまりの違いに、正直なところ戸惑いもあり、素直に信じられませんでした。
けれど、気がつけば人を怖がらなくなり、みんなと同じように心から笑えるようになっていたんです。

――素敵な学校なんですね。

本当にそうなんです。
そして何より、「辛いときに頼れる存在がいる」「神様がいるから、明日に向かって希望を持って歩いていける」ということが、私にとって大きな救いでした。
バプテスマ(洗礼)を受けたのは、高校3年生のときです。

――高校でも絵は描き続けていたのでしょうか?

はい。絵を描くことはずっと大好きで、転校後もアートのクラスを専攻して、ひたすら描き続けていました。
すると、廊下に貼り出されていた私の絵を見た方々から、「むぎちゃんの絵を見ると癒されるよ」と声をかけていただくようになって。中には「この作品が欲しい」と言ってくださる方までいたんです。

そのとき気づいたんです。
これまで私は、自分自身を癒すために絵を描いていました。でも、いじめやさまざまな苦しみを経験し、神さまを知ったいま――私が絵に込めている“希望”や“平安”が、見る人にとっての癒しになるんだ、と。
「これが私に神さまから与えられたミッションなんだ」と、気づきました。
そのときに初めて、「アートを通して人の心を回復させることができるようなアーティストになりたい」と思ったんです。

――そこで本格的にアーティストを目指すようになったんですね。

いえ、自分のアートには自信がなく、アーティストとして生計をたてることは無理だと思っていました。
でも、大好きなアートを諦めきれず、何かアートに関わる仕事がしたいと思っていました。
たまたまパソコンで「医療」「アート」と検索していたときに、アートと心理学を組み合わせた「アートセラピー」という分野があることを知りました。
ただ、日本には本格的に学べる大学がほとんどなくて……。そこで思い切って、アメリカの大学へ留学することを決めたんです。

でも、当時は英語もまったく話せず、英語で心理学を一から学ぶのは想像以上に大変で……結局、早い段階でギブアップしてしまったんですね。
そんなとき、大学で最初に友達になってくれた子が、3Dアニメーション学科の先生のところへ私を連れて行ってくれました。
そこには髭を生やした背の高い先生がいて、私に向かって何やらたくさん話しかけてくるんです。
私は何を言われているのか分からず、とにかく頷くことしかできなくて。気づいたら、アニメーションのクラスに入ることになっていました。(笑)

――それはまた急展開ですね。英語が話せない“日本人あるある”かもしれません。(笑)

それで、「もう腹をくくってここで学ぼう」と決めました。
初めの頃は英語もわからないし、毎日トイレで「神様、あなたには何か計画があってアニメーション学科に私を置いたはず。だから、絶対に助けてくれますよね」と泣きながら祈っていました。
アニメーション学科といっても、抽象画やクロッキーなど、美術の基本となるところはしっかり学ばなければならないんですね。もともと絵を描くことは大好きだから、勉強そのものは苦にはならなかったです。アニメーションの作り方も学ぶうちにどんどん夢中になっていって。初めはクラスで一番下の成績だったのに、学期末にはトップになり、年度末には表彰されるほどになっていました。
周りの友人にもたくさん助けられ、英語も上達し、3年生のときには手がけた作品が大きな映画祭で賞をいただきました。

でも、心のどこかでやっぱり絵を描きたいという気持ちが強くて……。
3DアニメーションはPCで作るので、作業はキーボードとマウスが中心です。でも、私はやっぱり手で描く作業がしたかったんです。

アニメーションの世界であれば就職先もあるのですが、絵描きやイラストレーターは完全にフリーランス。先生にも「自分でどうにかして生きていかなければならない、それは本当に大変なことだよ」と言われました。

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KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

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