日常の中にある、ささやかな光をすくいあげるように/画家・石居麻耶(いしい・まや)さん

――画家、イラストレーターとして幅広く活動されている石居さんですが、絵を描きはじめたのはいつ頃からですか?

物心ついた頃から絵を描くことは好きで、ずっと描いていたと思います。
といっても、お絵描き教室に通っていたわけでもなく、幼い頃はアニメのキャラクターを描いたり、子ども新聞や漫画雑誌にイラストを投稿したりしていました。
1人でコツコツ取り組むことは好きだったので、ものづくりには向いていたのかもしれませんね。

――本格的に画家を目指すきっかけはなんだったのでしょう。

中学、高校時代は美術部で、絵を描くことが生活の中心でした。その頃から画家を目指していたわけではありませんが、進路を決めるときにあらためて考えてみたら、絵を描くこと以上にやりたいことが思い浮かばなかったんですね。
読書や国語も好きで、文学的な方面にも興味はあったのですが、だからといって自分が文章で何かを表現する能力があるとは、そのときはさっぱり思えなくて…。
色々考えた結果、東京藝大の美術学部に進学しました。

ただ、いまも私は特別絵が上手いわけではなくて、自分が思い描くイメージをできるだけより良い形にしようという“根性”があるだけというか(笑)。だからいつも、他の方の作品を観ながらすごいなぁと思っています。

――根性!(笑)
私は特に、石居さんが描く人物が好きなのですが、絵を描くときに大切にされていることはありますか?

私の作品はいわゆる「具象画」で、人物や景色をリアルに描いたものが多いのですが、実際は目で見たものをそのまま描いているわけではなく、日常生活の中で目にしたことや、心に留まったものの中から、印象的な場面を抽出しているイメージです。
といっても、思いつきやその場の感情で描くことはせず、少し時間をおいて寝かせて、本当に心にストン、と落ちたことを描くようにしています。
観る方が「いいな」と感じてくださっているとしたら、私の思い出から抽象的に拾い上げた場面に何かしらの共通点を見出したり、共感したりしているのかもしれませんね。

石居さんが手がけた『八月の御所グラウンド』(著:万城目学/文藝春秋)の表紙装画。 『鹿男あをによし』や『鴨川ホルモー』などの表紙装画も担当している

――小説など書籍の表紙装画も多く手がけられていますが、ご自身が作品を読んで得たイメージをもとに描かれるのでしょうか?

作品によって違っていて、「石居さんが感じたように描いてください」と丸ごとお任せ、ということもあれば、「今回は、この作品の中のこの場面を描いてください」と具体的にオーダーいただくケースや、著者の方が初めから「こんな表紙にしたい」とはっきりとしたイメージを持たれていることもあります。

――そういうものなんですね。なかなか聞けない裏側のお話です。
月刊「いのちのことば」では2020年1月から2021年の12月まで、表紙装画とエッセイの連載も担当されていました。教会には子どもの頃から通われていたんですか?

はい、両親がクリスチャンで――といっても、2人とも洗礼を受けたのは結婚後で、うっすらとした記憶ですが、幼稚園生くらいの頃、母がバプテスマを受けるシーンを見て「水の中にバシャッ!と落ちたけれど、大丈夫かな…」と思ったことを覚えています(笑)。

日曜日に教会へ通うことは当たり前ではありましたが、学校にはクリスチャンの友達がいないし、学校の友達に日曜日に遊びに誘われても断らなければならないから、「なんでうちは、他とは違うんだろう」と疑問に思っていました。
それから、私はもともと集団行動が苦手だったので、教会の子どもたちの輪の中には入れなくて…ほとんど大人と一緒に過ごしたり、妹たちと遊んだりしていましたね。
特に教会がいやになったわけではないんですが、中学生になると部活が忙しかったり、受験勉強もしなければならなかったりで、私も妹も、だんだん行かなくなってしまいました。

――ちょうど美術部にも入られた頃ですね。

そうですね。また、その少し前から、母方の祖父母も一緒に暮らすようになりました。祖父母はクリスチャンではありませんでしたが、教会やクリスチャンに対しては寛容でした。ただ、考え方や生活スタイルの違いによって、家の中が雰囲気が少し悪くなってしまった時期もありました。

私が高校生になると父がアメリカに単身赴任することになり、さらに祖母が認知症で介護が必要になり、祖父もうつ気味になってしまって。この頃は本当に大変でした。
そんなときに、祖父が急に「自分も教会に行ってみたい」と言い出して、母と一緒に通いはじめ、最終的には洗礼も受け、クリスチャンになったんです。あれほど受け入れようとはしなかったのに、聖書を読み始めて、聖句もたくさん暗記して、本当に人が変わったみたいでした。調子がいいときには一緒に教会へ連れて行っていた祖母も信仰告白をして、洗礼を受けた数年後に亡くなりました。

ただ、私自身が洗礼を受けたのは2012年、大学も卒業してずいぶん経ってからなんです。

第2回「絵と言葉のチカラ展」グランプリ受賞作品「春、再び」(2022年)

――経緯を伺ってもいいですか?

常に人生において大切なことは何だろう、ということは考えていたのですが、なかなか答えが出ませんでした。絵を描く上でも、自分らしさ、オリジナリティーってなんだろう…と行き詰ってしまって。
それで、哲学書やら色々小難しい本を読んでもしっくりこない。心のどこかで“神様”の存在は意識していたけれど、自分の中で「なぜキリスト教でなければいけないのか」がピンと来なかったんですね。

だからといって、ほかの宗教でぴったりはまるものもない。
私があんまり断らないタイプだったせいか、大学時代には新興宗教にもいろいろ勧誘されたんです。友達に「家に夕飯食べに来ない」と誘われて行ったら、新興宗教の集会だったり、「一緒に行きたい所がある」と言われて出かけたら、何か総本山のような場所で記念式典が行われていたり。(苦笑)

――うわ…、それは怖い思いをされましたね。

でもむしろ、その時に「これは違う!」とはっきり確信できたんです。

あるとき、アメリカから帰国し、三重県で単身赴任していた父が、十二指腸乳頭がんにかかっていることがわかりました。父を通して“死”というものが輪郭を伴って現実的に目の前に立ち現れたときに、「私はこのままで本当にいいのだろうか」とハッとしました。
いま思えば、これが大きなきっかけでした。

そのまま三重の大学病院での手術が決まり、私も母と一緒に三重へ行って毎日のように病院へ通っていたのですが、日曜日に母から「教会に行くけれど、一緒に行く?」と誘われて、迷うことなく教会に足が向いていました。

その教会で久しぶりに聖書を読んでみて、自分がキリスト教に対して随分勘違いしていたことに気がついたんです。
それまでの私は、クリスチャン=聖書に縛られていて、決められたルールの中で、自分で考えることを捨てて生きる、という勝手なイメージを抱いていたのですが、実際は真逆でした。むしろ聖書を読むことで気づかされること、考えさせられることがたくさんある。ルールの中で生きるのではなく、一生学び続けるのがクリスチャンなんじゃないかな、と。

そこからは早かったですね。
東京に戻ってから、以前通っていた教会にまた足を運ぶようになり、4カ月半後に洗礼を受けました。

――大きな転機だったのですね。
洗礼を受けられてから、人生観や生活に変化はありましたか?

周りから見たら大きな変化はないかもしれませんが…例えば、絵を描くときに自分で無理やり捻り出すのではなく、神様から日々与えられている恵みの中から、大切なものをすくいあげる、と感じ方が大きく変化したことで、何を描いていいかわからないと悩むことはなくなりました。
どんなときでも心に留まるものはある、体調が悪くて部屋から出られなくても空想を広げられる、そんな風に思えるようになったんです。

もうひとつは、以前はとにかく作品を誰かに見てもらえたら良いなという想いから、ブログやSNSを毎日更新したりもしていたのですが、洗礼を受けてからはあまり「いいね」やPV数など表面的な数値に一喜一憂することはなくなった気がします。

――SNSにとらわれがちな現代にこそ、揺らがないものが必要だなと思わされます。

本当にそう思います。
自分にとって“大切なこと”の軸を、世の中の表面的なところに置いていると、ちょっとしたことでぶれてしまったたり、流されたりしてしまいますよね。
私も人間なので、心が揺らぐことはあります。それでも、自分の中に信仰があることでいろんなことが起こっても、土台から倒れることがない。そんな安心感があります。

――私も時々不安に駆られることがあるのですが、「きっと神様が、良いようにしてくださる」という結論に辿り着きます。

そうですね。先のことを考えると、両親が歳を取って介護が必要になったらどうなるなのだろうとか、私自身にも持病がある中で何ができるだろう、そもそもそのとき自分は元気なんだろうか…等々、不安を数えたらきりがないですが、そんなときは「いま神様が与えてくださっているものを思い出して、感謝して生きていこうという」気持ちになります。これは以前とは大きく違うところですね。

第2回「絵と言葉のチカラ展」グランプリ受賞作品「夢待ちの花」(2022年)

――いま持病のお話が出ましたが、石居さんは先端巨大症(下垂体性成長ホルモン分泌亢進症)の治療をされていることを公表されています。

脳下垂体に腫瘍ができる病気で、腫瘍そのものは良性なのですが、成長ホルモンが大量に分泌されることで、体にさまざまな影響を及ぼします。
いつ発症したかはお医者さんにもよくわからないそうなのですが、2007年頃から身体の色んな部分に不調が出はじめて…生理が止まってしまったり、毎年のように大腸ポリープができたりしました。因果関係は定かではありませんが、唾液腺にできた石を取り除くために片方の唾液腺を取る手術や、舌にできた腫瘍を取り除く手術もしたりと、色々な病院にかかりました。

この病気にかかる人の年間発症率は、100万人に3~5人程度といわれる難病で、病気のことがわかる医師も、治療できる医師もあまり多くないのです。
症状も人それぞれで、他にも心肥大になってしまったり、靴のサイズが大きくなったり、顎が大きくなって噛み合わせが悪くなったり、糖尿病になる方もいらっしゃるそうです。
2019年にたまたま受診した大学病院で診てくださった先生が脳下垂体の専門医で、ようやく病名が判明しました。10年以上、原因不明の不調に悩まされていたので、「やっと原因がわかった」とホッとしましたね。
その後は腫瘍を摘出する手術をしましたが、それだけでは完治しないので薬物療法を続けています。

――かなり長い期間、次から次へやってくる痛みと闘ったり、辛かったのではと思うのですが「なんで自分が…」という感情にはならなかったですか?

もともと人間はいつか死ぬものだし、それまでにいろんな苦しみを経験するだろうなとは思っていて。
とにかく苦しくて「神様、助けてください」と祈ることしかできないときもありますが、それでも今日も命があるということは、「まだ何かやることがあって、生かされているんだろうな」と思いながら生きてきました。

でも、クリスチャンじゃなかったら、怪しげなものに頼ったり、おかしな方向に進んでいたかもしれません。(笑)

作品集『Daily Light』は東京・銀座「Gallery MUMON」の店頭かオンラインサイトで購入可能
https://mumon.artcafe.co.jp/shop/books/

――これからやってみたいことや夢はありますか?

第一にはやっぱり、絵を描き続けたいということ。
それから、自分の絵と文章を組み合わせた本――といっても“絵本”ではなくて、どんなジャンルに相当するのかわからないのですが――を作りたいという想いがあります。
昨年、個展を開いた際に月刊「いのちのことば」の装画とエッセイをまとめた作品集『Daily Light』を自主制作して販売したのですが、広く書店に並ぶような本も作ってみたいです。

例え自分が生きている間ではなくても、いつかどこかで作品を観てくださった方の心に響くものがありましたら嬉しく、幸いですね。

――時代を超えて、人の心を動かすことができるのが芸術作品の素晴らしい所ですよね。
素敵なお話をありがとうございました。

石居麻耶さんの公式HP https://www.ishiimaya.com/
佐藤美術館で開催される「第32回奨学生美術展」に出展しています。
http://sato-museum.la.coocan.jp/
開催期間:2023年9月12日(火)~10月22日(日)

KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

関連記事