――どんな活動をされていますか?
絵画の創作活動を行うほか、昨年から造形教室「あとりえカフー」を運営しています。
アートクラスでは小学1年生から大人の方まで、約11人の生徒さんに教えています。
――「あとりえカフー」をはじめたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
中学生のときの担任だった美術の先生がとても素敵な方で、憧れていたんです。
先生自身も学校で教える傍らで創作活動をされていて、将来を考えたときに、美術を教えながら作家として活動をするという道もあるんだと思ったことがひとつのきっかけです。
また、以前、5年ほど幼稚園に勤めていたのですが、やはりたくさんの子どもたちがいる中で、一人ひとりと丁寧に向き合うことは私にはどうしても難しくて…。アートクラスだったら、絵を描く時間を通して、子どもたちとゆっくり向き合えるんじゃないかと思ったんです。
――中学生のときに憧れていた美術の先生は、どんな方だったんですか?
私は子どもの頃からとにかく絵を描くことが大好きで、当時は友達と美術教室に残って絵を描いて遊んでいたんですね。
通っていた校舎が老朽化のため建て替えになることが決まっていて、どうせこの建物は壊してしまうんだから、と落書きしたりしていて。
ある放課後、友達がふざけて「この消火器、使ってみよう」と言い出したんです。子どもの発想ってすごいですよね(苦笑)。
――やんちゃだったんですね(笑)。
そうしたら案の定、美術室の中は見事に消火器の粉で真っ白になってしまって。
「やばい!」「どうしよう!」と焦って、2人で一生懸命掃除していたら、美術の先生が戻ってこられて、ニコニコ笑いながら「これも青春だね」って言ってくれたんです。
てっきり「何やってるんだ!」と叱られると思っていたので、先生が笑って私たちのやったことを肯定してくれたことに感動しました。
――最高の先生ですね!
そうなんです!
その先生は、いつも細やかに一人ひとりを見てくださっていた印象があります。
私は美術と給食が楽しみで学校に行っていたようなところがあって、いつもごはん1粒も残さず、きれいに食べることにこだわっていたんですね。
先生はその様子を見てくださっていて、「今日もきれいに、残さず食べているね」と声をかけられたときに、そんなところまで見てくれているんだと驚きました。
些細なことかもしれませんが、たくさんいる生徒のひとりに対しても、きちんと目を留めて、褒めてくださったことがとても嬉しかったことをよく覚えています。
――とても素敵なエピソードです。
ところで、Mikuさんは子どもの頃から教会に通っていたのでしょうか?
実家はクリスチャンホームではなかったのですが、キリスト教系の幼稚園に通っていた頃から自然と信じていたという感覚です。
教会が運営する幼稚園だったので、保育の中でもイエス様のお話をよく聞いていましたし、そのまま教会にもつながったことで、園長先生をはじめ周りにもクリスチャンのお友達がたくさんできて、いいなぁ、自分もなりたいなぁと憧れていました。
クリスチャンになることを反対していた両親を説得して、洗礼を受けたのは高校1、2年生の頃です。
――そうだったんですね。洗礼を受けられてから、何か変化はありましたか?
実は20代の頃、色々なことがあって家を飛び出したものの、他に頼れるところもなく親元に戻るのですが、あの頃はかなり心がすさんでいました。
そこであらためて教会に通いはじめたら、一緒に暮らしていた祖母が、私の心に寄り添って教会へ行ってくれるようになったんです。
やがて、祖母が教会に対して心を開き、洗礼を受けたのをきっかけに、両親の気持ちも教会に向くようになり、今では家族全員がクリスチャンです。
ここまでの流れを言葉にするのは簡単ですが、祖母は沖縄に伝わる先祖崇拝、ヒヌカン(火の神)をとても大切にしてきた人です。だからこそ、両親も「おばあちゃんが生きている間は教会に行くなんてあり得ない」と言っていたのです。
――沖縄には独特の信仰があり、年配の方ほど大切にされているという印象があります。
おばあさまにとっては、教会に足を踏み入れることはとても勇気が要ったでしょうね。
本当にそうですよね。
クリスチャンではない家系に生まれた私が、キリスト教系の幼稚園を通して教会につながり続けたことや、放蕩娘だった私を、当時はクリスチャンではなかった両親が受け入れて守ってくれたこと…いま振り返ってみても、不思議なことがたくさんあります。
見えないところで神様が働いてくださっていたんですね。
――Mikuさんが幼稚園の先生になられたのは、子どもたちに対する思い入れがあったのでしょうか。
それが、以前はむしろ子どもは苦手で、小さな子どもの命を預かる仕事なんて自分にはできないと思っていたんですよ。
私が通っていた幼稚園の先生から誘っていただいたのをきっかけに、まずはサポートという形で働かせていただき、幼稚園教諭の資格も取得しました。
初めは苦手意識を持っていた私ですが、子どもたちと接する時間は、学びの連続でした。
あるとき、人一倍忘れ物が多かったり、言われたことをすぐに忘れてしまったり、自分と共通点がある子どもたちの存在に気付きます。
私自身、子どもの頃から、人よりできないことが多くて悩んできたのですが、そこで初めて“発達障害”や“ADHD”について詳しく調べるようになり、もしかしたら…と自分も病院を受診したところ、やはり「ADHD」だと診断されました。
その時から、子どもたちと接するときには、勝手に判断したり、決めつけたりするのではなく、どんなことも肯定しよう、と意識が変わりました。
旧約聖書のイザヤ書に「わたしの目にあなたは価高く、貴い」とあるように、一人ひとりの存在を認め、そのことを言葉や態度でも示そう、と思うようになったんです。
――Mikuさんの子どもたちと向き合う姿勢は、中学校の美術の先生と同じものですね。
そういわれてみると、そうかもしれません。
今思えば、私があのとき、先生に褒められて嬉しかったのは、周りの人に自分のことを決めつけられたり、わかってもらえなかったりという経験があったからだと思います。
私と同じように、できることとできないことの差が激しい“発達凸凹”な特性を持っている方は、悩むことも多いと思います。
ただ、私は、神様の想いに叶ったとき・場所でその特性が働いたときに、良いものを生み出すんじゃないかと思っているんです。
例えば、声が大きいという特性があったとします。
その人は、何を話すにしても声が大きすぎて、空気が読めずに周りに迷惑をかけてしまうこともあるかもしれません。
でも、大きな声だからこそ、礼拝の説教などたくさんの人にメッセージを届けられることもあるわけです。
――決してマイナスなことばかりではない。
「障害」というのは人間が名付けた言葉で、本来は一人ひとりに与えられた特性なんですよね。
ええ。人にはそれぞれ違う役割や働きがあって、違うからこそ競い合うのではなく、助け合って“調和”を作り出していく。そんな世界観やキリストが伝える希望や愛を、作品の中でも表現したいなと思っています。
体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。
もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙12:12-22)
――これからやってみたいことはありますか?
創作活動はもちろんですが、絵が苦手な方にも楽しみながら美術に触れていただく場所を提供できたらいいなと思っています。
ただ、ずっと同じ活動を続けるかはまだわかりませんし、今後、思いもよらない所へ導かれることもあるかもしれません。
きっとその都度、道が拓かれると思うので、これから自分がどんな風に神様に用いられるか楽しみたいです。
――人生で起こるすべてのことに意味があって、無駄な経験はひとつもないのだとあらためて思いました。
素敵なお話を、ありがとうございました!
MikuさんのHP Miku Kafuu Arts