幼い頃に大道芸に魅了され、2022年頃からは“ゴスペル大道芸人おっこう”として活動している岩澤浩二郎さん。大道芸とゴスペル(福音、聖書のメッセージ)というユニークなアイデアはどこから生まれたのでしょうか。前編では、これまでの歩みについて伺います。
――さっそくですが、おっこうさんはいつ頃から教会に通っているのでしょうか?
私はいわゆる“カタクリコ”(※)で、母がクリスチャンなんです。だから胎内にいる時から母や兄弟と一緒に教会に通ってはいて、大学生の時に自分の意思で洗礼を受けました。
※カタクリコ…両親のいずれかがクリスチャンである子どもを指す造語
――何かきっかけがあったのでしょうか?
兄と弟が先に洗礼を受けていたのですが、私はなかなか決心がつかず、宙ぶらりんな状態で……。
大学時代に親元を離れ、初めて親がいない教会に行ったことで、私の中に親の信仰ではなく、“自分自身の信仰”があることに気づきました。
その頃、アメリカから来日した宣教師と出会って、彼から教わった本場のゴスペルミュージックを通して聖書のメッセージの深い部分に触れたことも大きなきっかけです。
ある時、彼は「日曜日にはバスケットボールをやるんだ」と言ったんですね。私は宣教のために日本に来たのに日曜日に教会に行かないなんて、と驚いたのですが、彼は「原宿で出会った若者たちにイエス・キリストを伝えたいんだ。彼らは毎週日曜日に集まってバスケットボールを楽しんでいる。だから私も行って、一緒にプレイするんだ」と。
それを聞いた時、彼の生き方こそがイエス・キリストに倣う生き方だと思いましたし、自分自身が日曜日の礼拝に行くだけで満足している“サンデークリスチャン“であることに気付かされました。
――素敵な出会いでしたね。
もともとご家族の中では、お母様だけがクリスチャンだったとのことですが、どんな子ども時代を過ごされましたか?
父は、母が子どもたちを連れて毎週日曜日に教会に通うことについて特に介入することもなく、むしろ教会に行くのが当たり前だと思っていました。だから、小学校に上がって周りの子どもたちが教会には行っていないこと知った時に「えっ、みんな行ってないの?」ってびっくりしたんです。(笑)
父の仕事の関係で3年半ほどイギリスに滞在していた経験も大きく影響していますね。
日本では、どちらかというと「無宗教」であることをよしとするような風潮があるかと思うのですが、イギリスでは真逆。中学生の頃、同級生に「何を信じているのか」と聞かれて、「母が教会に通っているから一緒に行ってはいるが、信じているわけではない」と答えたら、びっくりされて「それでいいのか?」と言われたんです。
本当に日本とは文化が違うんだなと思いましたし、日本は「自分は無宗教」と言いつつも、スピリチュアルなものに心を惹かれる人が多くて、特殊だなぁと感じていました。
――確かに、習慣として毎日近所の神社を参拝したり、何かと“ご利益がある”ことを意識したり、スピリチュアルなものが好きな日本人は多いかもしれませんね。
――大道芸を始めたのはいつ頃からですか?
子どもの頃です。初めの師匠は祖母で、お手玉を教わって遊んでいたのが始まりでした。
小学生のときにはパントマイムの舞台を観て、「目には見えないのに、壁がある!!」と衝撃を受けて。(笑)
見よう見まねでパントマイムをはじめて、全校生徒の前で披露したこともあるんですよ。
大学ではジャグリングサークルに所属し、さらに色々なジャグリングの技術を身につけていきました。大人になってからは趣味で続けていて、地域のイベントなどで披露する機会はあったものの、大道芸を通して聖書のメッセージを物語ることは考えてもみませんでした。
――「ゴスペル大道芸人」として活動をされるきっかけはなんだったのでしょう?
コロナ禍に心の病気である「適応障害」と診断され、1年半仕事を休むことになりました。仕事中に涙が止まらなくなるなどの症状があり、初めは会社に原因があるのでは、と転職先を探していたのですが、ある時に「そうじゃない、生き方の変革が必要なんだ」と気づいたんですね。
当時、私は「自分の心の内を誰もわかってくれない」と閉じこもっていました。時間をかけて、さまざまな人の助けを借りながら回復する中で、イエス・キリストは私の痛みも苦しみもすべてわかってくれていること、そして人として世に来られたことの意味を改めて語られたように感じたんです。
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
(ヨハネによる福音書12:46)
この私の原体験を、大道芸を通して伝えることができるんじゃないかと思って始めたのが“ゴスペル大道芸“です。
――お仕事もできないほど辛い中で、外向きに活動されるのは勇気が要ったのでは?
もともと私は“外向き”な人間なんですね。休んでいる間、ひとりでジョギングしたり、ジャグリングの練習をしたりしていても、虚しさばかりが残るんです。
そうか、自分は誰かと一緒に何かをすることが好きなんだ、と改めて気づきました。
私の大道芸も、自分の技を見せるというよりも、子どもたちにお手伝いをしてもらって、一緒に作りあげるのが楽しくて。子どもたちって、その場で何をするかわからないんですよ。そのアドリブ感が大好きなんです。
「コロナ禍で適応障害になった」と聞くと、人が怖くなって会社に行けなくなったのでは、と思うかもしれませんが、私の場合はまったく逆で、人が好きで会えなくなってしまったことが大きなストレスだったんですね。
まさかこんなに長く休むことになるとは思っていなかったのですが、自分の人生を見つめ直すために与えられた期間だったのだと思います。
――事前にステージの動画を拝見しました。
大道芸のワクワク感や楽しさはもちろんですが、技術を見せながらご自身の体験をわかりやすい言葉で伝えていて、かつてのおっこうさんと同じように出口が見えないで苦しんでいる方にも届くのでは、と感じました。
そうだったら嬉しいです。もともとの私は、弱さを見せることが苦手で、プライドから心療内科を受診することにも抵抗がありました。
だからずっと、聖書でパウロが言っている「弱さを誇る」という言葉の意味がわからずにいたのですが、休職期間を経て少しずつ自分の想いを伝えられるようになり、大道芸を通して、自分が心の病気にかかったことも伝えられるようになって――。
なんとなくですが、もしかしたらこれが、パウロが言う「弱さを誇る」ことなのかもしれないと感じています。
すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
(コリントの信徒への手紙2 12:9)
――今回、「たまものクラブ」のために新しいネタを考えてくださったとのことで、動画をいただきました。
事前にお子さんたちの厳しい審査があったそうです。(笑)ありがとうございます!
後編に続く。
ゴスペル大道芸人おっこうさんのInstagram:@juggler_okko