喜びも、怒りも、不安も。素直な気持ちをすべて“祈り”に変えて/Gloood代表・川田潤さん(後編)

2011年にアパレルブランド「Gloood(グルード)」を立ち上げ、聖書のメッセージをデザインしたTシャツなどを手がけている川田 潤(かわた・じゅん)さん。前編ではブランドを立ち上げた経緯について伺いました。後編では、川田さんのアイデンティティ、クリスチャンとしての生き方について伺います。

――前編では、ブランドを続けてきた間「ずっと大変だった」とお話しされていました。
私自身、仕事やお金など、色んなことで不安に駆られることがあるですが、ひとりで仕事を進める中で、不安になったり、信仰が揺らいだりすることはないですか?

もちろん、不安の種はありますよ。
そんなときは、祈りの中でぶつけています。私は“愚痴の祈り”と呼んでいるのですが、モヤモヤしていること、怒り、不安など胸のうちにある感情を、きれいな言葉でまとめようとするのではなく、素直な言葉でぶつけるんです。「あー、失敗した!」とか「もう、どうしたらいいかわからない!」とか(笑)。全部出し切った後に、「これは愚痴でしかないけれど、どうか祈りに変えてください」と祈るんです。

――SNSで呟くより、ずっと健康的な気がします。

そうですよね。誰かに話せば、聞く人にとってストレスにもなってしまうでしょうし。
お金のことで不安になるのもわかりますよ。お金は、生活をする上で必要な、本当に大切なものですから。
私だったら、祈りの中で「今、お金のことで大変なんですよ」とぶつけてしまう。マイナスの感情があるのは、人間だから当たり前のことだと思いますし、クリスチャンだからといって清らかな信徒にはなれません。

――本当にそうですね。

信仰が揺らぐというお話とは違うかもしれませんが、時々クリスチャン的な視点ではタブーとされそうなデザインを頼まれることがあります。でも、私はそのこと自体はなんとも思わないんですね。それはその人の価値観であって、私にどうこういう権利や資格はありません。だからそのまま受け入れ、ただ自分の姿、クリスチャンとしてのあり方を見せる。
クリスチャンではない友人たちともいろんな話をしますし、Instagramに新しいデザインや、それにまつわる聖書のメッセージを上げれば、「いいね!」と反応してくれることもあります。
これは私のわがままかもしれませんが――、いつか本当に苦しいことがあった時に、私がGlooodを通して伝えていることを思い出してもらえたらいいな、と願っているんです。

――素敵ですね。デザインのテーマはどうやって決められるのでしょう?

聖書の中に書かれたストーリーがもとになっているので、ネタに困ることはありません。(笑)
常に使いたい箇所をストックしていて、日々の生活の中で見聞きしたり、体験したり、考えたりする中でデザインが生まれるイメージです。

――確かに、あの分厚い聖書から一部分を切り取るとすると、ネタは尽きませんね(笑)

ただ、ちょっと困るのが“クリスチャン濃度”をどれくらい濃くするか、ということです。
薄すぎればメッセージが見過ごされてしまうし、濃すぎると「うわっ……」と敬遠されてしまう。ちょうどいいバランスを探りながらデザインを決めていきます。

――単なるおしゃれなロゴTシャツで終わらせない、絶妙なバランスを探すのは難しそうです。

そうですね。自分がクリスチャンだからこそ、「これで本当に伝わるか」とか、クリスチャンではない人にどんなものが受けるのか、常に意識しています。

ちなみに、クリスチャンの方に向けたデザインも難しかったりするんですよ。信仰のベースや、その人が置かれている立場、背景などによってもとらえ方が変わってきますから、一人ひとりを尊重しながらデザインを考えることを意識しています。

――教会によってカラーも違うし、趣味嗜好も一人ひとり違うから、正解がない世界というか……。
お仕事をする上や、日々の生活の中で、大切にしている聖書の言葉はありますか?

良く知られている、「いつも喜んでいなさい」の箇所です。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
《テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節》

正直なところ、いつも喜んではいられないですよね。だからこそ、祈るんじゃないかな、と思っているんです。喜ぶために祈るというか。
先ほど“愚痴の祈り”という話をしましたが、私は「父なる神様」ではなく「イエス様、聞いて」と祈るんですね。これは個人的な感覚ですが、「父なる神様」だと、とても偉大で、権威がある方というイメージが強くて、素直な気持ちが出てきづらい。一方、肉体を持って私たちがいる場所に来てくれたイエス・キリストは、“友“としていつも寄り添ってくれる存在です。だから、そこにイエス・キリストがいるように「ねえ、聞いて」と話しかける。そうしてすべて気持ちを出し切ったあとで、最後にやっと「神様、ありがとうございます」と感謝ができるんです。
それでも感謝できないときは、詩篇に書かれている、神様がしてくださったことを思い起こします。

主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐れみの冠を授け
長らえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。
‭‭《詩編‬ ‭103章‭3~5節‬》‬‬‬‬

日々、どちらかといえばうまくいかないことの方が多いし、何度も何度も折れそうになりましたが、神様がいたからこそここまで生きてくることはできたと思っています。子どもの頃から自分のことが嫌いで、殻に閉じこもっていた私を、神様は後押しして、支えてくれました。本当にうまくいっていないと感じるときでさえも、人生を振り返ってみれば、いつも神様が働いてくださってきたな、と感謝の想いが湧いてくるんです。

―― 目の前にカベがあると、ついついそちらに囚われてしまいますが、視野を広げると、実は今日生かされていることも当たり前ではないんだな、と思います。

本当にそうなんですよね。

――「このカベにも何か意味があるのかな」とか、「今日も新しい1日が迎えられて嬉しい」と気持ちを転換できると、それだけで日々がちょっと楽しくなりますね。

日々、本当に小さなことでも「神様、ありがとうございます」と言い続けると、それが喜びにつながりますよね。私にとっては、自分の殻に閉じこもっていたあの時期も、神様からのプレゼントだったのかもしれせん。

――最後に、今後やってみたいことなどはありますか?

Glooodは小さなブランドで、まだあまり知られていないので、ひとりでも手に取ってくださる方が増えたら嬉しいです。

――素敵なお話を、ありがとうございました。

GlooodのHP https://gloood.com/


KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

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