医療の限界を感じた精神科医が、イエス・キリストに出会って見つけたもの/精神科医・中川潤さん

身近な人にも打ち明けられない痛みや苦しみを抱えたとき、あなたならどこに助けを求めますか。
精神科やカウンセリング、あるいは教会――心を支える場所は、ひとつとは限りません。
東高円寺で「こころテラス・公園前クリニック」を運営する精神科医の中川潤さんは、医療の現場で人の苦しみに向き合う中、信仰と出会ったといいます。

臨床の苦悩の中で導かれた信仰

――精神科医を志したきっかけを教えてください。

医学部を卒業後、最初の2年間は内科で研修をしていました。
研修先はがん治療を専門とする病院で、目の前の患者さんに全力で向き合い、懸命に治療を尽くしても、病状は進行し、亡くなられる方が少なくありませんでした。
その現実に次第に虚しさを感じるようになりました。

そんなときに、緩和医療やターミナルケアの現場で、患者さんの話にじっくり耳を傾け、人生の最期に寄り添う精神科医の存在を知りました。そこから、精神科という仕事に興味を持つようになりました。

――その時点では、すでにクリスチャンだったのでしょうか。

いえ、まだ信仰を持っていたわけではありません。
ただ、祖母と母がカトリック系のミッションスクール出身で、洗礼こそ受けていませんでしたが、聖書の教えに親しんでいました。日常の中で、キリスト教の価値観や大切にしていることを自然と伝えられて育ち、幼いころには地元の教会に連れて行かれたこともあります。
ですから、決して縁遠い存在ではありませんでした。

本格的にキリスト教に出会ったのは、精神科医として働き始めてからのことです。
理想とは違っていて、現場はとても過酷でした。日本の精神医療の厳しい現状を目の当たりにして、このまま続けられるだろうかと悩んでいました。

30代半ばのある日、ふらっと近くのカトリック教会に入ったことがあります。磔刑のイエス様の前に立ったときに、「迷ってもいいから、一緒に患者さんと歩んでいきなさい」という声が聞こえました。
当時の私はかなりうつに近い状態で、幻聴だったかもしれません。でも、そのときの私には確かにそう聞こえました。
この出来事をきっかけに、聖書をきちんと学びたいと思うようになり、四谷の聖イグナチオ教会で1年間学んで、洗礼を受けました。

――洗礼を受ける前と後で、ご自身に変化はありましたか?

“科学者の端くれ”としてトレーニングを受けてきたつもりでいました。ただ、聖書を読んでいく中で、哲学的なことや理論的な背景が理解できるようになったと感じています。

聖書がわかることで、キリスト教に限らず、論理的な考え方や科学的なものの見方にも通じる部分があると気づきました。医師としての倫理観や、人に対する視点についても、新たに得られたものがあったと思います。

診療そのものが大きく変わったということはありませんが、ものの見方には変化がありました。
たとえば哲学書も、以前はあまり頭に入ってこなかったのですが、今は読み方が変わったように感じています。神に対する考え方を前提にしながら、それを批評していくという哲学のあり方の一つが見えてきたことは、大きかったです。

精神医学は、医学の中でも少し特殊な領域だと感じています。脳に明確な異常があって精神症状が現れるケースは、必ずしも多いわけではありません。
たとえば、幻聴やうつ状態の方でも、検査をしてもはっきりとした異常が見つからないことは少なくありません。近年は発達障害についても注目されていますが、さまざまな検査をしても数値として異常が現れない一方で、行動や対人関係に困難を抱える方もいらっしゃいます。

そうした方々と向き合うときに、どのような視点を持つのか。科学者として、また医師としてどうあるべきかということについて、聖書から学ぶことは多いと感じています。
ただ、離婚したことでカトリック教会には居づらさを感じるようになってしまって……。

教会での葛藤。新たな信仰のかたちを求めて

――カトリック教会では離婚は認められていないのでしょうか。

周囲の方にも相談したのですが、ミサに出席することは可能で、聖体拝領(ホスチアと呼ばれるパンをいただく儀式)までは問題がないものの、それ以外については制限があると説明を受けました。
また、再婚についても認められていないと聞かされ、「では、本当の救いとは何だろう」と考えるようになりました。
福音書には罪人が赦される場面が数多く描かれていますが、イエス・キリストの語る救いとはいったい何だったのか、と。

一方で、福音書には、結婚について厳しい言葉も記されています。たとえばマタイによる福音書19章には「神が結び合わせてくださった夫婦を引き離してはならない」とあり、5章には「離縁された女を妻にする者は姦淫の罪を犯す」とも書かれています。
それらの言葉をどのように受け止めればよいのか。そのまま現代にも当てはめてよいのかと考えていたときに出会ったのが、プロテスタントです。

――何かきっかけがあったのでしょうか?

接点となったのは、沼田和也牧師が自身の体験を綴った『牧師、閉鎖病棟に入る』です。
私自身が精神科医ということもあり、読んでいてとても面白かったですし、“罪の意識”の描かれ方などが非常にリアルで、強く印象に残りました。

これまでに書かれてきたキリスト教文学は、どこかきれいごとに感じていました。でも実際には、現実の生活の中で人がぶつかる問題や、もっとドロドロとした葛藤があります。
実際に、私のクリニックには、夫婦関係や家族関係に悩んで相談に来られる方がたくさんいます。
臨床の現場に向き合う中で、そうした現実に根ざしたものの考え方が必要だと思っていました。この本には、カトリックの中では得られなかったヒントがたくさんありました。

沼田牧師……というよりも、プロテスタントの考え方では、日常の問題に対してまっすぐ向き合い、キリスト教的な考え方で人々に寄り添うことに取り組んでいるのではと感じ、連絡をして会いに行きました。
そして、その年のクリスマスにプロテスタント教会に転会しました。

――教会につまずきを感じた人の中には、信仰を失ってしまう人も多いと聞きますが……。

まったくありませんでした。
それには確固たる理由があります。先ほどもお話しした通り、まだ聖書を読む前に、イエス様が直接、私に話しかけてくださったからです。

――これは私の勝手なイメージですが、科学者や医師と聞くと、信仰とは距離があるように思っていました。

人それぞれだとは思いますが、たとえば アイザック・ニュートン は、神の世界を証明するために万有引力を発見したとも言われていますし、ほかにも神が作った世界を知りたいという思いを動機に研究していた人も多くいます。

医師は科学者でもありますが、患者さんに対して、ときには易者や役者のような役割を担う場面も少なくありません。科学的な考え方だけでは人に寄り添うのが難しいことを、日々の臨床の中で実感しています。
そうした中で、キリスト教という軸が一つあることは、私にとってとても重要です。

――プロテスタントの教会に通うようになっていかがですか?

いまは沼田牧師が牧会している教会に通っていますが、高尚な話から、かなり踏み込んだ話題まで、色々な話が聞けるので面白いですね。
ちょっと驚いたのですが、以前AV監督の二村ヒトシさんについても言及があったり、境界がなく、タブーがないというか、肩書きだけで人を判断しない空気があります。
その中で、沼田牧師なりのキリストの救いについての語りがあるんです。

私は私で、日々さまざまな患者さんと向き合っています。
風俗で働かざるを得ない女性や、家族から暴力を受けている人、お酒がやめられない人……。そういった方々に対して、良いか悪いかで判断するのではなく、まず話を聞く必要があると感じています。
私自身、そこまで過酷な環境に置かれたことがないので、簡単に共感できるとは言えませんが、福音書に登場する、社会の中で苦しさを抱えていた人たちを現代に置き換えたときに、沼田牧師の教会や、私のクリニックに来られる方々の姿と重なる部分があるのではないかと感じています。

――沼田さんとの出会いが大きな転機になったんですね。

本当にそう思います。
たまたま図書館の宗教のコーナーで『牧師、閉鎖病棟に入る』を見つけて手に取らなければ、行き場を見失ったまま、いまもさまよっていたかもしれません。

――聖書だけが、キリストと出会うきっかけになるとは限らないのですね。

1 2


KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

関連記事