東日本大震災がキリストと出会う転機に。/那須「コトリコーヒー」運営・庄司良博さん、美穂さん(前編)

栃木県那須町で北海道産小麦を使った無添加の天然酵母パンや、生産履歴が明確なスペシャルティコーヒー豆を直火釜で焙煎して販売している「コトリコーヒー」。
お店を営む庄司良博さん、美穂さんは、2014年に洗礼を受けてから10年目を迎えました。それ以前はキリスト教に興味も関心もなかったという2人の心を動かしたのはなんだったのでしょうか。

――早速ですが、お2人が聖書や教会に触れるようになったきっかけから教えていただけますか。

良博さん(以下、敬称略):大きなきっかけとなったのは、東日本大震災です。
私たちは震災が発生するちょうど1か月前の2月11日に宮城県多賀城市で「アトリエポラン」という店を開いたばかりでした。
ご存知のように、3.11の震災でライフラインが寸断され、物流が滞り、地域全体が食糧不足になり…被災地はとても困難な状況でした。
私たちが住んでいた地域は津波の被害は免れ、電気も1週間後に復旧したので、食べ物に困っている方のために何かできればとパンやお菓子を焼いて、避難所に届けていました。

美穂さん(以下、敬称略):その様子を、ブログを通して発信していたら、ある時に多賀城市と友好都市協定を結んでいる福岡県太宰府市の方から「音楽を通して復興の力になりたい」とご連絡をいただきました。

良博:それはありがたいとお願いをして、福岡県から宮城県まで18時間かけてやって来てくださったゲストが、クリスチャンのサックス奏者・安武玄晃(やすたけ・もとあき)さんだったんです。

――多賀城市も大きな被害があり、188名の方が亡くなりました。
とても深刻な状況下だったと思うのですが、コンサートはいかがでしたか?

現在、庄司さん夫妻は那須に移住し「コトリコーヒー」を運営している

良博:本当に素晴らしかったです! 音楽はもちろんですが、一つ一つの言葉も素敵で、力強くて、明日への活力が与えられたような感覚でした。
後で聞いた話ですが、安武さんは、自分が行くことで復興になるんだろうかと悩み、一度は断ったのだそうですが、市の担当者の方に「被災地で悲しみ、苦しんでいる時に、音楽を通して力を与えられるのは君しかいない」と言われて、来ることを決心したそうです。
その後も何度も被災地に足を運んではチャリティコンサートを開かれていて、私たちは今も家族ぐるみでお付き合いしているんですよ。

――素敵な出会いでしたね。
でも、その時はあくまでも音楽の演奏がメインで、直接聖書に触れるタイミングはなかったのでは?

良博:ええ、そうですね。
多賀城で2回目のコンサートが行われた時に、教会の関係者から安武さんに「次は私たちの教会でも」と依頼があって、それを聞いてなぜか安武さんが喜んでいたんですよ。ミュージシャンといえば、コンサートホールなど大きな会場で、たくさんのお客さんを呼んで演奏したいものだとばかり思っていたので、すごく不思議でした。
その翌年に教会で開かれたコンサートが、私たちが初めて教会に足を踏み入れた日になりました。

――初めての教会、どんな印象を抱かれましたか?

良博:皆さんが温かい笑顔で私たちを歓迎してくださったことが強く印象に残っています。
コンサート後の食事会にも招いていただいて、食前のお祈りの際に安武さんが「アーメン」と言っているのを聞いて、クリスチャンだったことを知ったんですね。
その上で改めて安武さんの在り方を見た時に、この人が信じているイエス・キリストの福音とはどんなものだろう?と興味を持ちました。
でもその時は、「またいつか教会に来られたらいいね」という程度だったんです。

――「また行きたい」と思えるような温かい雰囲気だったんですね。

良博:本当にそうなんです。
その後、2013年に「コトリコーヒー」を開くのですが、教会の牧師夫妻がお客様としていらしてくださるようになり、ある日、今度特別な伝道集会があるから来てみないか、と誘われました。
当時、「コトリコーヒー」は開業直後から新聞や雑誌、テレビにラジオとあらゆるメディアで取り上げていただいたこともあって、連日盛況で忙しい日々を過ごしていました。
それで私は調子に乗ってしまって、接客やお出しするパンや料理の味にもブレが生じるようになって…。そんな私を見かねた妻から、もう一緒にお店をやっていけない、夫婦生活も続けられないと伝えられ、このままではいけない、自分は変わらなければと思っていました。
このタイミングでのお誘いだったので、「行きます」と即答して、夫婦で集会へ参加したんです。
その時に語られたメッセージや、「今日あなたがここにいるのは、あなた自身の意思ではなく、神様によって呼ばれたのだ」という言葉が胸に突き刺さり、次の日曜日には「神様のこと、イエス・キリストのことを知りたいです」と教会の門を叩きました。

――その時美穂さんは、どんなお気持ちで一緒に教会に行かれたのでしょう?

美穂:正直なところ、その時はまだ信じていなかったというか…。これまでにない様子で「変わりたい」と教会に執着する夫を見ながら、「変わるわけない」と思いながらもついて行った、という感覚でした。(苦笑)
自分の意思で教会へ通いたいと思うようになったのは、礼拝で聞いた讃美歌に癒され、聖書の言葉が心に残ったからです。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
〈マタイによる福音書11章28節〉

若い頃から私は、母との関係に悩んできました。
教師の娘として育った母は厳しくて、いつもできたことを褒めるよりも、「なぜここができなかったのか」と足りない部分に目を向けるタイプだったので、私は叱られないようにとにかく頑張るしかなくて。
この聖書の言葉を聞いた時に、「そうか、ここでは自分がずっと抱えてきた重荷を降ろしていいんだ」と思ったら気持ちがふっと楽になりました。
さらに礼拝後、女性の信徒の皆さんとお話する場で母との関係について話したら、みんなで私のために祈ってくれたのです。
すべてがこれまでにない経験でしたし、私はここにいてもいいんだ、と心から安心しました。

――洗礼を受けたことで、人生観や生活などに何か変化はありましたか?

良博:大きな変化といえば、日常的に祈るようになったことでしょうか。
カフェでは私はパンの製造とコーヒーの焙煎、料理を、妻は接客と焼き菓子やケーキ、ジャムなどの製造を担当していたのですが、洗礼を受けてからは毎日「神様がいつも共におられて、誠実に仕事ができるように助けてください」と祈りながら仕事をするようになりました。
そうしたらある日、妻やお客様から「パンが美味しくなった」と言われるようになったんです。
それまで「コトリコーヒー」といえば、妻が作るスコーンやジャムなどが高く評価されていて、コーヒーはそこそこおいしいけれど、パンの評価はイマイチ。(苦笑)
一人ひとりが神様に作られた大切な存在であり、ご自身の体も大切にしてほしい…そう考えるようになり、もっと材料を吟味して、無添加で身体に優しいパン作りを目指すようになりました。
聖書にはイエス・キリストは“わたしはいのちのパンである”と言ったと書かれていますが、現代を生きる人々に、私が作ったパンを食べて元気になってもらえたらと思っています。

――美穂さんはいかがですか?

美穂:母との関係が、少しずつですが変化して…。お互いにかけ合う言葉が優しくなったり、もしかしたら、私自身が変わったことで、母にも変化があったのかもしれません。
また、聖書を通して「母も厳しく育てられてきたんだな」、「厳しかったのは私が嫌いだったからではなく、より良い大人になってほしかったからなんだな」と、母の気持ちが想像できるようになりました。

――お2人とも、大きく変わったのですね。

後編に続く

コトリコーヒー(Instagram):@kotori_coffee




KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

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