信仰に基づくケ・セラ・セラ! 波瀾万丈でも、笑たもん勝ち! 女優・福音落語家 露のききょうさん

 

父・二代目露の五郎兵衛師匠と露のききょうさん

振り返れば、波瀾万丈。
芸能一家ならではの価値観と生活をおくった、落語一門の娘。
今回は「福音落語」というカテゴリーで全国各地を飛び回る、露のききょうさんにお話をお願いしました。

ーー『福音落語』というのは、亡くなられたお父様であられる、元上方落語協会会長の、二代目 露の五郎兵衛師匠が始められたとおうかがいしました。

「ええ。噺(はなし)によっては「神方人情噺」(かみがたにんじょうばなし)という別名でもやってました。その後、私と二人で「福音落語」という名前を確立いたしました。聖書のエピソードを題材にしたり、キリスト教とはなんぞやというものをわかりやすく落語にしたり。
企画や招かれる教会、またはお客さまの対象によって、どの演目にするかを変えています。クリスチャン向け・クリスチャンでない方向け、または古典をアレンジして落語色を強くしたものや「教会あるある」まで。
もちろん古典落語もご披露できますよ(笑)」

-ー では初めから「福音落語」で活動されていたという事でしょうか?

「いえいえ! 私、今も女優として活動してますし!(笑) 少女時代から女優になりたかったんです。しかも時代劇の舞台女優。
子どもの頃は家にお弟子さんが何人かおりまして、当時落語は「男社会」と言われる世界。その中で、女流落語家第一号の都ねえさん(露の都さん)が大変な思いをしているのを見て、落語家はさっさと諦めました(笑)」

2006年の露の一門

「落語家一門の師匠を父に持って、家にお弟子さんがいてる環境で育つと、進路を考えはじめるときには当たり前のように「芸能」の道を目指してました。
私は、高校生の頃から舞台女優を目指して養成所にいき始め、当時の漫才ブームにのっかって、まずは同じ一門の露の都姉さんと、漫才でデビューしたんです。そのあと、女優として商業舞台を10年近く経験して、中座・南座・新歌舞伎座・梅田コマ劇場(現 梅田芸術劇場)なんかの舞台を踏みました。」

ーー クリスチャンになられたのはどういう経緯ですか?

「双子の妹がきっかけです。彼女が既に導かれてクリスチャンになっていましたので、遊びに行く感覚で教会に通っていました。
何度か通った時に『招きの時』があり、『イエス様を信じた人は前に…』と言われた瞬間、雷に打たれたようになりました。
経験したものしかわからない『触れられた瞬間』でしたね。
でも父には信仰を持ったことを内緒にしてたんです。
父は、妹が演劇の勉強をしに上京することを希望した際、関係先に色々根回しして協力していました。そんな彼女が、「クリスチャンになったから女優の道はやめる」と言ったことが相当面白くなかったようです。近くでその様子を見ていたので、まさか一年後に『やっぱり私も信じました〜(笑)』なんて言えなくて。
ですので舞台がある土日は、礼拝を守れないまま、芸能生活と信仰生活を続けていました。
まぁうすうす察していたみたいですけれどね。礼拝へ向かう日は、妹と仲良く連れ立って行っていましたから(笑)
それからしばらくして時代も変わり、テレビへ活動も移り出した頃、女優の三林京子さんが“落語家へ弟子入り”というスタイルをとられたんです。『そんなら私もやってみよ』くらいの気持ちで、父のところに正式に弟子入りしました」

-ー 五郎兵衛師匠も晩年はクリスチャンになられましたよね? どういうきっかけだったのですか?

「やっぱり妹の祈りです。ずっと家族の救いを願い続けていました。折に触れて家族伝道をしてたんですが、なかなか受け入れてもらえなくて。
そんな時、父が敗血症で倒れたんです。その時たまたま、私も枕元で聖書を読み、祈りました。後から母に聞かされたことですが、どうやらそれが福音への頑なな心を軟化させた、と言われました。
退院後にも「ゴスペルin文楽」で有名な英太夫(はなふさだゆう 現 豊竹呂太夫)さんと親交を持ち、「師匠も洗礼受けなはれ!」と言われ、背中を押されるようにクリスチャンとなったようです。それがきっかけで「福音落語」ができあがり、私が正式に後を継ぐ形になりました。」

-ー そこから『福音落語』を創作されはじめたと言うことですか?

「まだまだすんなりいかんのですよ(笑)
その後、救われたことをきっかけに各地で証しをしたところ、『師匠、今日の落語面白かったです!』と言われることがあり、『いやいやこれは落語ちゃいます』と返すと『じゃキリスト教の落語作ってくださいよ!』とお願いされることが度々ありました。そんなに簡単に作れるものじゃないし・・・と悩んでいたんですが・・・。
古典というのには「型-かた-」があり、その型に当てはめるとできるのではないかと、「ゴスペルin文楽」の豊竹呂太夫さんから助言を受け、牧師夫人になっていた妹の早樹(菅原早樹さん・おしゃべり讃美家)が、いわゆる「根問-ねどい-もの」(Q&Aタイプでお話が進むもの)を書いたんです。これが第一作目『教会根問』(きょうかいねどい)となりました。」
「私は父の前座をやっていたのですが、父は77歳でしたから、記憶力への不安もあり、ほどなくして福音落語第一作目の『教会根問』は私に託され、父の死後は私が唯一の福音落語の後継者となりました。」

ーー 依頼は全国各地と聞いております。この活動を通じて、どのような恵みがありましたか?

「そりゃあ、もちろん。日本全国いろんなところに行けて、各地の美味しいものを食べられたり、ときどき観光などにも案内してくださったり(笑)
あと、単独で行くには遠慮してしまいがちな被災地への訪問なども、仮設住宅で福音落語をさせていただくなどと、たくさんの経験ができます。
色々な教会を知ることができるのも恵みです。
ほとんどの人が、自分の教会と母教会、それくらいしか知らない方が多いと思うのです。その中で私は、たくさんの教会さんに触れ合うことができる。いろんな牧師先生のメッセージを聞けるのも嬉しいですよ。
私はかなり楽天的な人なので、シングルで2女を育てたり、次々と大病を患ったりと、外から見ると驚かれるほど波瀾万丈な状況のようでも深刻になるタイプではありませんでした。もちろん、信仰ゆえにというところもありますが。
ですがこのコロナ禍では『神様どうして!』と叫びたくなることもありました。
そんな時、徐々に復活し出したお仕事先で、いろいろな牧師先生のメッセージを聞いて、自分と神様の関係やあり方を再確認できる恵みがありました。
だからこそ、握っている愛唱聖句は

 『あなたの道を主にゆだねよ。主を信頼せよ。主が成し遂げてくださる』 詩篇37:5 聖書

です。
若い頃はいろんな芸事に関わり、示されるままに福音落語を継ぎ、離婚、病気、そしてコロナ禍。もう信仰を持っての『ケ・セラ・セラ』です。最終的に神様が私の道をなんとかしてくださる。と、この御言葉に信頼しています」

ーー 『ケ・セラ・セラ』はききょうさんの出囃子(登場曲)ですね。
聖書のお話を笑にするって、バランスが難しそうに思います。内容や気をつけておられることはありますか?

「福音落語は、プロとしてあとお一人、桂三段さんという方もやっておられ、私たちは“落語家”がそれを通して福音を伝えています。皆さんに福音が伝わってほしいという気持ちは同じですが、あくまでも“落語”で伝えたいんです。だから面白くなくてはいけない。楽しくないなら落語じゃない。それなら牧師先生のメッセージの方がずっといいんです。
最近はアマチュアの方も福音落語にチャレンジされる方がいますが、落語のセオリーはぜひ踏んでいただきたいですね。『落語風ゴスペル話』になってしまわんように」
「私たちは“落語”も正しく伝えたい、「相互伝道」でありたいんですよ。落語を知らん人が、教会で聞いて『落語って面白いですね!』と言ってほしいし、落語を聴きに来た人にも、キリスト教を知ってほしい。だからそれ自体も、ちゃんとしていないとと思うんです。 」

 

この言葉に改めて、キリストの福音に触れたことがない人の状況を思わされました。
落語とキリスト教、両方を知らない人の方が、圧倒的に多い。
だとするとききょうさんの落語は「相互伝道」だけでなく「同時伝道」で、伝統芸能と福音を伝える役目を果たされているのではないでしょうか。
落語も福音もちゃんと知ってほしい。イエス様もきっと最前列で、お腹を抱えて笑ってくれることでしょう。

本日は、ありがとうございました。

公式ホームページ:https://kyoufumi.jimdofree.com/




ほししいたけ

ほししいたけ

ブランドシナリオデザイナーとして、中小企業・個人事業主様のビジネスストーリーに必要なシナリオ(企画やツール)を提案&制作。グラフィックとwebデザインがメインですが、 ツール作りだけでなく、取り組みや企業のコンセプト(テーマ)をしっかり考え、それに沿った企画(シナリオ)を考えて取り組んでいます!脚本歴・芝居歴長め ちょっと芸人寄りのクリエーターです。好きな聖句はピリピの4章6節7節 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

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