2013年に日本初の総合ゴスペルダンススクール「One Gospel Dance school(ワン・ゴスペル・ダンス・スクール)」を設立し、ダンスを通じてゴスペル(god-spell=福音)のメッセージを伝えている桝田みず恵さん。ゴスペルダンスとの出合いや、スクール創設の経緯について伺います。
――「One Gospel Dance school」の公式サイトによると、ゴスペルダンスとは、文字通り「さまざまなジャンルのダンスと、聖書のメッセージであるゴスペルを融合させたダンス」とのことですが、桝田さんはどちらでゴスペルダンスを知ったのでしょう?
きっかけは、社会人1年目の時に始めたゴスペルでした。
以前はプロのダンサーを目指していたのですが、思うようにいかず、ダンス以外の方法で表現する活動を続けられたら…と、映画で観て興味があったゴスペルクワイアに入りました。
当時の私はクリスチャンではなかったのですが、ゴスペルの発表会はクリスマス礼拝など、教会関連のイベントが多く、その際には必ず礼拝にも参加をしていました。
ある時、教会で、アメリカを拠点とする宣教団体「TPW」のワークショップでゴスペルダンスを習う機会がありました。彼らは教派や教団を超えてゴスペルで世界中に神様のメッセージを伝える団体で、素晴らしい歌声やダンスに感動すると同時に、芸術を通してクリエイティブに聖書のメッセージを伝える姿に惹かれ、すぐに私もゴスペルダンスを広めたい!と思いました。
――その頃にはキリスト教を信仰するようになっていたということでしょうか。
というよりも、両親が日常的に神仏にお祈りする様子を見ていたので、漠然と子どもの頃から「神様はいるんだろう」と思っていたんですね。
聖書に書かれている「イエス・キリストが自分の罪のために死んで、十字架に架けられ、3日目に復活した」ことを受け入れるまでには時間はかかったと思いますが、神様の存在そのものを受け入れるのは難しくはなかったです。
――「イエス・キリストが自分の罪のために死んで、十字架に架けられ、3日目に復活した」ことこそがキリスト教の根幹であり、クリスチャンでない人にとっては最も難しいポイントでもあると思うのですが…。
確かに、そうですよね。
実は、ゴスペルを歌い始めた頃に、私の姉が自死しました。
ゴスペルが伝えているのは神様のメッセージですから、歌いながらも「どうして姉を生かしてくれなかったの」、「神が本当にいるのなら、姉のことも天国に連れて行ってよ!」と神様に対してひどく反抗的でした。
誰にも自分の思いを話せず、今思えばひたすらゴスペルを歌いながら神様と取っ組み合いをしているような日々だったのですが、それでも、歌っている時だけは生きている心地がしました。
それ以外の時間はひたすら朝から晩まで仕事をして、何も考えないようにして…という生活をしていたら、とうとううつ病になってしまいました。ベッドから起き上がれなくなり、悪夢にうなされることも増えました。
ある時、姉の幻を見たんです。
昼間、うたた寝をしていたら、ふらっと姉がやってきて「元気にしてる?」って。「天国でサークルに入って、合宿で地球に寄ったんだ」と言うんです。
「なんじゃそりゃ?」って思いますよね。(笑)でも、本当に生身の姉と話していたような感覚があって、起き上がった時に「今のは夢じゃない。絶対に姉だった」と思いました。神様が私のあの反抗的な祈りを聞き届けて、姉のことを天国に連れて行ってくれたんだ、と思えたんです。
クリスチャンの中には「自殺をした人は地獄へ行く」と言う人もいますが、私の身近にいるクリスチャンの人たちは、「(お姉さんは)きっと天使として遣わされたんだよ」と言ってくれました。そこから毎週日曜日に礼拝に行くようになり、たくさん祈る中で、自分のためにイエス・キリストは十字架に架けられたのだ、それでも私は愛されていて、私にとって人生最大の負い目である「姉を助けられなかった」ことさえも赦されているんだと、受け入れることができました。
――辛いご経験をされていたのですね。
ゴスペルダンスはどこかで習得されたのでしょうか?
そもそも日本にはゴスペルダンスをやっている人がいなかったので、誰かに教わることもできません。
初めのうちはTPWのワークショップで教わった振付を踊ったりしていましたが、所属していたゴスペルクワイアのメンバーの中から、「公演でダンスも披露したいから教えてほしい」と頼まれるようになり、クワイア内にダンス部を立ち上げ、自分でも振り付けをするようになりました。
「ゴスペルダンススクールを作る」という確信が与えられてからは、聖書を基盤にしたダンスを教えのだから、と聖書を学ぶための学校に通ったりもしました。
――もともと「教える」ことは得意だったのでしょうか?
いえいえ、まったくそんなことはなくて…。
大学のサークルでは部長を務めたり、レッスンをしたりもしていましたが、ずっと自信がなくて。心からダンスを楽しめるようになったのは、最近なんですよ。
昔から自分のことが大嫌いで、自己肯定感も低くて、だからこそダンスで自分を格好よく見せようとしていた。ダンスに自分のアイデンティティーを置いていたんですよね。
――プライドで自分を保っていたというか…。
まさにそうで、以前の私はいわば“ダンス=神様”のような状態でした。舞台で絶対に失敗をしちゃいけない、いいパフォーマンスをしなければいけない、それによって誰かに迷惑をかけてはいけない。常にそんな思いでいっぱいでした。
でも本当の神様は、「ダンスがあなたの価値を決めるわけではない。あなたから見てひどいダンスだったとしても、それでいいんだよ。愛しているよ」と100万回言ってくれる方なんですよね。実際に、自己評価がすごく低かったダンスを観た方に「感動しました」と言っていただく経験もたくさんしました。
こうして少しずつ癒されていって、一つひとつ自分の思いやプライドを手放して、やっと、自分のダンスについても、教えることに対しても「これでいいんだ」と思えるようになりました。
――2013年に「One Gospel Dance school」を設立してから11年目を迎えられました。
スクールの運営やダンスのお仕事を通して気づいたことはありますか?
いっぱいありますが…聖書にもあるように「神様は忠実である」ということですね。
この11年間でダンスを習いに来てくれた人たちは、延べ人数で700人を超えます。こうしてスクールやイベントに多くの人が集まってくれることも、どうにか一度も借金を抱えずに運営できていることも、私自身の力ではなく、ただ神様が忠実であるからこそだと思います。
もちろん、順風満帆だったわけではありません。
初めの内は本当に不安と恐れでいっぱいでした。スクールを作ろうと焦っていた時には甲状腺の病気がわかったり、コロナ禍でスクールを続けていた時には乳がんが見つかったり…、私が何か無理をしている時は、神様が絶妙なタイミングで「手放しなさい」と言われているように感じます。
一方で、発表会を開くたびに必要な資金や場所が常に与えられて、いつもその場所の広さにちょうどいい人数のお客様が来てくださるんです。
そんな経験を重ねるたびに、私自身ではなく神様がこのダンススクールを作り、運営されているんだなと感じます。
――改めて、ゴスペルダンスを通して伝えたいことや、今後の目標はありますか?
届けたいものはずっと変わらず、「あなたは愛されていて、居場所があって、価値がある存在なんだよ」という神様のメッセージです。
現在は東京・新宿を拠点に、複数のスタジオを借りて4つのダンスレッスンを行っているのですが、専用のスタジオが持てたらという願いがあります。
姉の死という悲しい経験からも、誰にも話せない悩みや葛藤を抱えていたり、家庭にも学校にも居場所がないと感じている子供たちに対していつも想いがあって…。ダンスはあくまでもツールで、子供たちが辛くなったらいつでも行ける“居場所”を作りたいんです。
それと同時に、全国各地で舞台や、ダンスのワークショップを開催して、日本にゴスペルダンスを広めることができたらと思っています。