安定した生活を捨て、音楽家へ転身/サックス奏者・安武玄晃さん(後編)

国内外で活躍するサックス奏者・安武玄晃(やすたけ・もとあき)さん。前編では、サックスやイエス・キリストとの出会いについて伺いました。後編では、7年間勤めた仕事を辞め、プロの演奏家になるまでの道のりを伺います。

――前編では、高校卒業後、すぐに就職されたと伺いました。プロの演奏家に転向されたきっかけを教えてください。

教会に通い始めたことで、社会人になってからは時々演奏する程度だったサックスを、毎週演奏する機会が与えられました。
あるとき、牧師を通じてあるホテルから「ブライダルで生演奏をするサックス奏者が急遽必要になった」とお話をいただいて。これが、「サックス奏者」として初めてお金をいただいた仕事です。
1度きりの助っ人のつもりでいたのですが、ありがたいことに「来週も来てほしい」とお声がけいただいて…この辺りから、仕事を辞めてプロの演奏家になりたいと思うようになりました。

――ちなみに、前職は音楽関係のお仕事だったんですか?

いいえ、音楽とはまったく関係ない、食品関係の仕事です。
毎朝めちゃくちゃ早起きをして、4トントラックに乗って市場へ行っては果物を仕入れて、販売をして…という日々を送っていました。

高校の卒業間際でようやく内定をもらって、それまで心配をかけていた担任の先生を安心させようと入社した会社でした。
初めの1年間はキツかったんですが、3年働いたら仕事のコツも覚えて、だんだんお給料も上がって…何よりも、会社に必要とされていることがすごく楽しくて、最終的に7年間働いていました。
教会に行かなかったら、今も勤め続けていたんじゃないかと思います。

――7年間も働いた会社を辞めて、ゼロからプロの演奏家を目指すのは、大きな決断だと思います。

確かにそうですね。
でも、自分がクリスチャンとして新しい道を歩ませてもらう中で、「神なんて絶対にいない」と言っていた母が、僕をきっかけに大嫌いだった教会に足を運ぶようになったり、後輩や昔の仲間たちも洗礼を受けたり――自分にとって身近な人たちが、教会に来て変えられていく姿を見たら、改めて「神様って本当にいるんだ」と感動しました。
と同時に、自分が受けたものを、次の人にも届けていきたいと思ったんです。

僕にできることはなんだろうと考えたら、やっぱりサックスしかない。僕が教会で奏でているのは、神様を讃美するための音楽であり、サックスを通して讃美しているわけです。
もっと巧くならないと説得力もないし、神様に失礼に当たる。だったら、世界最高峰の環境で教えてもらうしかない!と憧れていたサックス奏者のロン・ブラウンさんの元で学びたいと思ったんです。
それで、会社を辞めてアメリカに行くことを決意しました。

――思いきりましたね!

退職届を出したとき、社長には「目を覚ませ」と言われましたし、先輩たちにも止められました。
先輩の間では、「安武がキリストの所に行きはじめてから頭がおかしくなった」「プロの音楽家になると言い始めたが、あいつは大丈夫か」と話題になっていたみたいです(笑)。

僕は聖書を知れば知るほど、自分に自信が持てるようになって、今まで持てなかった夢を持つことができるようになったんです。これは自分にとっては本当にすごいことで、大きな変化なんですが、先輩たちからしたら「急に何を言いはじめたんだろう」という感じですよね。

社長には2回退職届を提出したのですが、受け取ってもらえず、「3か月間の休暇をあげよう。その間、給料も出すから、休暇を利用してアメリカに行ってこい」と言われました。
おそらく、一度アメリカに行けば、自分には無理だと気づくだろうと思ったんでしょうね。

――太っ腹な社長さんですが「頭を冷やしてきなさい」という意味だったのでしょうか。

そうかもしれませんね。
でも、3か月の休暇が終わっても僕の気持ちは変わらなかった。
それで、3度目の退職届を提出しに行ったら「お前がそこまで決めているんだったら、頑張ってこい」と受け入れて、みんなで送り出してくれました。

――いい会社にお勤めだったんですね。
アメリカに行くことを決めた時点で、コネなどがあったのでしょうか?

ないです、ないです。
初めはいわゆる“出待ち”をしてロン・ブラウンさんに直談判試したんですが、緊張してしまって伝えたかったこともほとんど話せなくて。
そもそも、弟子は取らないと言うんですね。
でも、みんなに盛大に送り出してもらった手前、爪痕ひとつくらい残さないと帰れないと思って…。
諦めずにアプローチし続けていたら、仲良くなったロンさんのスタッフさんから、コンサートのお手伝いをするローディーをやってみないかと声をかけてもらったんです。
渡米して2年目にして、ようやくスタートを切りました。
「初めての弟子として受け入れてほしい」と言い続けた結果、ロンさんが受け入れてくれて、ツアーの合間などにマンツーマンレッスンをしてもらえるようになりました。

実はロンさんもクリスチャンで、僕が惹かれたきっかけになった『In The Spirit』という作品は、ロンさんが聖歌や讃美歌をカバーしたアルバムだったんです。
レッスンの際も、毎日必ず、自分がどんな風になりたいか、どんな音色を奏でたいかを言葉に出して、イエス様の名前で祈ってから練習しなさいと言われていました。
それまで自分がやってきた奏法がまるで違うと言われたり、思うような演奏ができずに諦めかけたこともあったのですが、半年経った頃に手応えが感じられるようになって…。

2010年に発売したデビューアルバム『Break Through』は、ロンさんがプロデュースしてくださいました。
ロサンゼルスでレコーディングを行ったのですが、自分の力では集められないような、憧れのトップミュージシャンの方々が参加してくださって、夢じゃないかと思いました。
今思えば、生まれて初めてのアルバム制作、何もわからない状態でよく乗り切ったなと思うのですが、皆さんがこれから初めてアルバムを作る僕のためにやりやすい環境を作ってくれていたことがわかります。
1曲レコーディングをするたびに、声を合わせて一緒に祈ったりもして。音楽的な部分だけでなく、人としての在り方も勉強させてもらったなと思います。

日本のジャズレーベルの社長さんがこの音源を聴いてくださって、協力いただいたおかげで、2011年に日本でも全国的にアルバムをリリースすることができました。

――1曲ごとに、声に出して祈りながら作られたという所に心を動かされます。

おもしろいのが、アメリカに行くことを止めていた会社の先輩たちが、今では応援してくれていてコンサートにも来てくれるんですよ。
「俺はやっぱり、あの時(会社)を辞めて良かったと思うわ」なんて言って(笑)。

きっと、当時はそんなにうまくいくわけがない、この会社で培ったものを手放すなんて馬鹿だなと思っていたと思うんです。
それが、本当にデビューすることになって、僕に対する見方も変わって、「キリストの所に行って、正解やったんやね」と言ってくれたとき、本当に嬉しかったです。

――2023年11月には4枚目のアルバム「ALL YOUR HEART」も発売されました。

これはコロナ禍以降に作った曲を集めたアルバムです。
2020年はかつてない本数のライブが決まっていたんですが、全部中止になってしまって…それを機に全くやる気がなくなった時期がありました。
もう自分の演奏を必要としている人はいないんじゃないかと不安になり、生まれて初めて夜も眠れないという経験もしました。

だからといって、家族もいるしこのまま働かないわけにも…と、それまでは趣味でやっていたコーヒーの自家焙煎にのめり込んで、自分が焙煎した豆のオンライン販売を始めたりもして。
時間と共に少しずつ気持ちにも変化があり、旧約聖書の箴言のことばに背中を押されて、もう一度「やれることから始めてみよう」と立ち上がることができました。

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言3章5-6節)

――苦しい時期を経て生み出されたアルバムだったんですね。
最後に、これからやってみたいことや夢があれば教えてください。

神様に与えられた一日、一日を大切に生きていきたいと思っているので、先のことはわかりませんが…。
サックスを通して、自分が受けたものを伝えたいという思いはずっと変わっていません。
国内だけでなく、海外でも公演活動ができたら嬉しいですね。

僕は一般の事務所にも所属しているのですが、事務所側も僕のクリスチャンとしての活動や伝えたいことも理解してくれています。
それは本当にありがたいことで、そのことを“良いもの”として受け止めてくれているのが本当に嬉しいですし、だからこそ、自分自身がブレないように、しっかり地に足を付けていなければと思います。

ライブやアルバムリリースなどの情報は安武玄晃さんのオフィシャルブログから




KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

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