京都市北区の小さなパン工房「άρτος(アルトス)」を営む中島爽(なかじま・そう)さん。クリスチャン一家に生まれ、一度は牧師を志しましたが、「自分には向いていない」と会社員を経験。その後、再び自分の生き方を問い直し、行き着いたのは“パンを焼きながら家族と暮らす”という道でした。後編では、独立への準備や店づくりの裏側をお聞きします。

――東京での仕事を辞めた後はすぐに関西に帰られたんでしょうか?

次はどうしようか、資格を取ろうかなとかいろいろ考えていたんですが、京都で働く妻の友人から、古い民家をシェアハウスにするから住まないかという話をもらって。そこからはとんとん拍子に話が進んでいきました。

――いよいよパン屋さんへの道のりが始まるわけですね。
でも、なぜ「自分で作ったものを売る」=パンになったんでしょう?

もともと料理が好きで、たまにパンも焼いていたんです。それでずっと、冗談のように「いつかパン屋やる」なんて言っていたんですが、まさか本当になるとは思っていませんでした。(笑)
料理が好きなら、居酒屋など飲食店もいいかも、と考えたこともあります。でも、僕はなによりも家族との時間を大切にしたい。だから夜に負荷が高い仕事はちょっと厳しいなと思ったんです。その点、パン屋は朝型だということも決め手になりました。

――未経験からのスタートですが、修行先はどうやって探されたんですか?

引越し先から自転車で通える範囲のパン屋を探して、中でも自分が好きだと思った一軒に飛び込みで「働かせてもらえませんか」と連絡をしました。初めは断られたんですが、「話だけは聞いてみようか」と面接の機会を作ってくださって。ここで改めて、1からパンの製法を学びました。

本当は2、3年で独立したいと思っていたのですが、3年目のときにオーナーから大幅に昇給するからあと3年働いてほしいと言われて。今年の12月がその期限で、いまはお店が休みの日にプレオープン的に店を開けているんです。

僕は以前から、家と店舗が同じ場所にあるほうがいいと思っていたこともあって、娘が小学校に上がるタイミングで3階建て物件を買って、1階を店舗に、2、3階を居住スペースに改装することにしました。

――独立と同時に家を買う、なかなか大きな決断だったのでは、と想像します。

そうですね。本当は僕の地元である岡山で店をやりたいと思っていたんです。でも、長女にどうしても幼稚園を変わりたくないと言われてしまって。その思いを覆してまで岡山でやりたいわけでもないな、と考えました。だったら今はこの子の気持ちを大事にしようと思ったんです。
もちろん、自分の思いも大事にしたい。でも家族ができたいまは、その時々で「何を優先し、何を大切にするか」を考えながら、一つひとつ決断しています。

――改めて、パン屋さんの仕事をはじめてみていかがですか?

すごく自分に合っていると思いますね。それまで朝が得意なわけではなかったんですが、朝方の生活に切り替えると体も自然に慣れるもので。いまは朝4時に起きてパンを仕込み、昼過ぎには仕事が終わります。午後は家事や自分の時間を過ごし、夕方には子どもを迎えに行って、一緒に夕飯を食べて風呂に入れて寝る……。自分が望んでいた生活スタイルが、パン屋だからこそ実現できていると感じます。店頭販売だけでなくEC販売もできるのは大きな魅力ですね。

もうひとつ面白いのは、パンを学んでいくとキリスト教や聖書とつながる部分がたくさんあることです。

――確かに「五つのパンと二匹の魚」など、聖書とパンは密接なイメージがあります。
店名はどんな意味があるのでしょう?

「άρτος(アルトス)」は、ギリシャ語で“パン”を意味する言葉です。同時に、マタイの福音書6章にある主の祈り――「主よ、我らの日用の糧を今日も与えたまえ」の“糧”を表す言葉でもあります。日本語の“ごはん”と同じで、主食だけでなく食事そのものを指しているのが面白いですよね。だからこそ、僕は「日々の糧となるパンを焼きたい」という思いを込めて、この名前を付けました。

ところで、キリスト教の礼拝では聖餐式(※)にパンを食べますが、イエスがいわゆる「最後の晩餐」で弟子たちとどんなパンを食べたと思いますか?

※聖餐式(せいさんしき)……イエス・キリストが最後の晩餐で弟子たちと行った食事に由来し、パンとぶどう酒を分け合いながらイエスの愛と犠牲に感謝するキリスト教の儀式

――どんなパン……確かに気になりますね。

さまざまな説がありますが、当時のパンづくりを研究している人のデータによると、すでに窯は存在していたので、カンパーニュのようなパンを焼くことも可能だったそうです。
ただ一方で、当時のパレスチナで一般的に食べられていたのは、フライパンのような鍋で焼いた平たいパンでした。つまり、ここでまず発酵させた「窯焼きパン」か「平焼きパン」かという2つの選択肢が出てきます。

さらにもうひとつ大事なのが、発酵の有無です。実は、聖書の記述によって“最後の晩餐”の日付が1日ずれているんですね。ヨハネの福音書では過越の祭りの前日、他の3つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では過越の祭り(※)の最中となっている。聖書には「過越の祭りには発酵したパンを食べてはいけない」と書かれているため、もし後者の方が正しかった場合、その食卓に発酵パンが並ぶことはあり得ないわけです。

※過越(すぎこし)の祭り……旧約聖書出エジプト記に由来するユダヤ教の祭りで、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放されたことを記念するもの

――たった1日の違いで大きく変わってしまうんですね!

さらに別のテキストを見ていくと、「イエスが弟子たちにパンを裂いて分け与えた」と記されています。ここで使われているギリシャ語の「裂く」という単語は、分割する、分けるという意味ではなく、そのまま「手で裂く」というニュアンスだそうです。膨らんだ発酵パンを「裂く」と表現するのは不自然なことから、現在は無発酵の平焼きパンが有力ではないかと言われています。

――なるほど。パンを通して聖書を紐解くことができるんですね。
お店でも聖書にまつわるパンを販売しているんですか?

将来的には考えてはいますが、店舗で「キリスト教色」をどこまで押し出すかは悩みどころですね。
パン屋やカフェの良さって、老若男女問わず誰でも入りやすい“気軽さ”でもあると思うので、「入口の入口」のような存在になれたらいいなとは思っています。

――キリスト教に限らず、「これすごくいいよ!」と押しつけられるのはいやですよね…。
お店の本格オープンを控え、これからやってみたいことはありますか?

まずはこの場所で長く続く、愛されるお店を作ることがいちばんですね。
それから、いま僕が通っている教会では、聖餐式の際に市販のパンを使っているので、いずれは僕が焼いたパンを使ってもらえたら……と思っています。ご要望があれば、色んな教会の聖餐式のパンも焼いてみたいです。

――素敵なお話をありがとうございました。

άρτος(Instagram):@ artos_2025

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KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

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