皆さんは「聖句書道」というものをご存知でしょうか?
書道と聞くと、正月に書く、学生時代に習ったいわゆる’習字’ではないでしょうか?
そう言った精神集中と文字の美しさを学ぶための習い事とは違う、聖書の言葉のみに特化した聖句書道には、特別な力があることを今回のお話で知りました。
まさに聖書の言葉には神様が働く。
そんな、40年前から始まり、今も続いている聖句書道の働き。その一環である「金沢聖句書道展」でご活躍中の、中村悦子さんにお話をお伺いしました。
――中村さんはどうして「聖句書道」をはじめられたのですか?ご自身のストーリーを教えてください。
私はもともと書道をやっていたのですが、社会通念にある「書道」に一生懸命でした。そのうち書道展などにも行き詰まりを感じ始め、その教室を出てしまったのです。
平たく言えば、面白くなくなったのですね(笑)
やはり自分が書きたいと思うものを表現したい。
時を同じくしてクリスチャンになっておりましたので、やはり生きた聖書の言葉を表現したい、と言って出たんです。
そんな時、石川県でも『金沢聖句書道展』が開催されるようになり、参加しました。
今ではもう22年も続く超教派の集まりですが、金沢では展示会開催の半年前くらいから、毎月牧師先生のメッセージの後に祈り会を行い、展示会のために祈ってそなえます。
――半年前から毎月集まって祈っているのですか? それは相当熱心な会と言えますよね!
言われてみればそうですね(笑)
金沢の『聖句書道展』は毎年10月くらいに開催されるのですが、4月くらいから祈り会がありますね。
私は金沢の第1回目から参加していますから、もう22年になります。
この聖句書道展は全国でも東京・新潟・大阪など、7.8か所で開催されているのですが、こういう毎月の祈り会を行っているのは金沢だけと聞いていますね~。どうかしら?(笑)
――中村さんは、いつも『聖句書道展』のために作品を描かれているのですか? それとも普段から書いて、選りすぐりの一点を書道展に出されているのですか?
初めは『聖句書道展』のために書いていました。
でもね、私は普段、高校の書道の非常勤講師をしています。そのスキルを保たなきゃいけませんので、ライフワークとして聖句を書いています。
その中で少しでも生徒に伝えられればと、一年の最後に余った時間ができれば、「こんな言葉が聖書に書かれているのですよ」と紹介し、それを生徒に作品として書かせたりもしています。
今年は初めて、私の方からも、一人一人にこのようなカードを作って渡しました。
――そんな「聖句書道」ですが、元々の起源といいますか経緯や、具体的にどのようなものなのでしょうか?
「聖句書道」とは、聖書の中から自分の心に響いた聖句を、日本の「書」で表現し、それを芸術作品として作り上げるのです。
はじまりはおよそ40年前に、佐藤望雲(ぼううん)牧師が、書の精神性と聖句とで向き合い、御心のままに表現していくことで「聖句書道誌」と言うものを作られました。
今でも全国8、9ヶ所で「聖句書道展」と言うものが開催されております。
筆と墨を使って、精神を集中させ、神の言葉が宿る聖句を書き表しています。それは、ただ文字を書くだけではなく、聖句の真の意味や神への敬意を伝えることにも重きを置いています。
『みことばを書写する事は、技巧の上手下手を超えて、神との親しい交わりを得ることを最大の目的とした―つの手段なのです。みことばを書写する事は、すばらしい黙想の一つの手段として、自分自身や、自分の心や生活をはかるうえで、また恵みを知り、神の愛を心に受けとめる有効な手段です。』佐藤望雲 著「聖句書道を学ぶ」より
実は40年前から続いているのですが、少し目立たない活動になってしまいましたね(笑)
――いや、それでも、堅実に続くものには力強さを感じます。だからこそ、その活動を通しての喜びや恵みは、たくさんおありだと思いますがいかがでしょうか?
実は私にはもうひとつ活動がありましてね。
高校の取り組みのひとつとして、地域の人たち向けに学校を解放しようという行事があったのです。
その時に「何かイベントをしてくれないか」と頼まれまして、聖句書道教室を開催しました。
するとその参加者のお一人が、
「先生、学校だけではなく、一般で習いたいです」と申し出てくれました。
私は何度も、「聖書の言葉しか書かないですよ?」といいましたが、十分ご承知の上で、近くの文化会館で【うるわし聖句書道教室】というのを開催しはじめました。今でもノンクリスチャン向けに指導しております。
――向こうから申し出てくれたのですか! それは嬉しい! しかも教会だと敷居高く感じられますが、そうやって公民館のようなところでやるということがよかったですね!
そうなんです。
今でも書道教室のメンバーは6.7人在籍し、40代〜70代で皆さんその「金沢聖句書道展」のために取り組んでおられます。
あと、もう一つ「聖句書道」を通じて、嬉しいことがありました。
うちの教会に心がとても繊細な青年がいて、洗礼を受けたのですが7〜8年教会に来ることができなかったのです。
でもずっと年に一回だけは、私がお手本を書いて「金沢聖句書道展」には出品してくれていました。
それがある時、ぽつ・・・っと、教会に来て、そこから今もずっと礼拝に出るようになりました。
彼の中で、細く長く「聖書の言葉」が響き、生きていたのだと思います。
本当に、無口でシャイな人だったのです。
だけど今も「聖句書道展」には出品してくれていますし、今年はどんな言葉を選ぶのだろうと、楽しみにしています。
そんな彼が、今は牧師の信頼を得て、教会の執事もやっておられます。
――それは感動のお証ですね…。まさに『聖書の言葉には力がある』というところですね。どの言葉にしようかと聖書の中から選び、そして選んでいる中で自分に響く言葉があり、その過程だけでもその方にとっては、教会に行けなくても聖書の言葉が響き続けていたのですね。
聖書のこばを書くというのは、神様が働きます。聖霊が働きます。
そのかたはとても言葉に対して敏感な人でしたので、おそらく聖書の言葉を選ぶ時も、深い深い思いの中から一つを選んでいるのだと思います。
――最後の質問になりますが、中村様がもしイエス様に「聖句書道」の作品をプレゼントするとしたら、どの箇所を選びますか?
まぁ! それは考えたことありませんでしたね!
神様(聖書)から言葉をいただくことはあっても、イエス様にプレゼントするなんて・・・。
宿題にさせてください(笑)
―――――――
後日、中村さんから、下記のみことばを送っていただきました。
【マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。】ヨハネの福音書20:18
中村さんは、
「蘇ったイエスに最初に出会ったのはマグダラマリアですね。そして次にイエスから直接新しいミッションを言い渡され実行したマグダラのマリア。
この御言葉に改めて、イエスから直接私の使命を言い渡されたように受け取りました。
そしてそのように実行したしましたと、イエスに報告したいと思いました。」
との回答をいただきました。
そしてこの度のインタビューがきっかけで、今の自分の新たな課題が整理できて信仰が深められたと語ってくださいました。次の金沢聖句書道展にはこの聖句を選ぼうと思われたそうです。
こうして振り返ると、中村さんの活動が、「主に仕え、その愛を人々に伝えたい」という思いで貫かれていることがよくわかりました。
学生、地域の方、生きにくさを抱えておられる方・・・それぞれに、決して自分が前に出ることなく『聖句書道』を通じ、み言葉そのものを伝えている。そのお働きに、尊敬の念が尽きないインタビューでした。
【Facebook金沢聖句書道】
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【金沢聖句書道展】 昨年の様子(YouTube)←ここをクリック