教会を転々とするなかで身に着いた
「聖書」を基準とする考え方
――「Bezalel」の活動について教えてください。
「ベツァルレル」という名前は、旧約聖書『出エジプト記』に登場する人物に由来しています。神殿(幕屋)や契約の箱の製作を担ったとされ、聖書における最初のアーティストとも言われる存在です。
テンペラ画家の服部州恵さん、アメリカ人画家のグラハム・フレミングさん、香港出身のカリグラファーMay Soさんなど、さまざまなジャンルで活動するクリスチャンアーティストが所属しており、一緒に展覧会を開催したり、YouTubeチャンネルなどでの発信にも取り組んでいます。
最近では、展示会場で賛美(賛美歌の歌唱)をリードするアーティストの方に参加していただいたり、俳優の大浦龍宇一さんに聖書朗読として参加いただいたりすることもあります。
大浦さんは『聴くドラマ聖書』でルカ役を演じたことをきっかけに聖書に触れ、その後洗礼を受けられました。
――創作活動をする中で大切にしていることは何でしょうか。
聖書に関しては、徹底的に聖書そのものを研究することです。
例えばルネッサンス期の宗教画では、当時はまだ考古学的な知識が十分ではなかったため、古代ローマの兵士がヨーロッパ風の服装で描かれていることがあります。
そうした表現を見直し、2000年前のローマ時代の服装や、当時のユダヤ人の装いがどのようなものだったのかを検証していく必要があると考えています。
また、ポージングや人物表現についても、聖書の文脈に即した形でどのように表現するのが適切なのか、常に模索しています。
ただし、「これが正解だ」と言い切ることはできないため、今も試行錯誤を続けながら、最も適切な表現を追求することを大切にしています。

《抱神者シメオン》
――お話を伺っていると、聖書をとても深く読み込まれている印象を受けます。
銀座教会でお世話になるようになってから知ったのですが、母方の伯父が神学者の左近淑(さこん・きよし)だったのです。左近博士は青山学院大学や東京神学大学の学長を歴任し、『新共同訳聖書』では旧約聖書部分の翻訳にも携わったことでも知られている人物です。
銀座教会で出会った方のなかには左近博士の教え子が多く、いろいろな神学書を読む機会を与えていただきました。
しかし、自分自身の教会生活は決して順調だったわけではありません。まともに学校に通っていない、定職にも就いていないことを理由に、教会に拒否されてしまったこともあります。
そのため、さまざまな教派の教会を訪れるようになったのですが、結果的にはそれがよかったと思っています。教派によって聖書の解釈や教え方が大きく異なることを知ることができたからです。
この経験を通して、自分自身で聖書を読み、何ごとにおいても聖書を基準に考える姿勢が培われました。 子どもの頃から聖書が枕元にあるような暮らしを送ってきたからこそ、聖書を通して世の中に対処をする力を養い、自分自身のアイデンティティを保つことができたのだと思います。
――人間関係などを理由に、教会から離れてしまう人も多くいると聞きます。
実際に、よくある話ですね。
でも、聖書を研究していると、教会がいわゆる組織化された宗教法人であるとは一切書かれていないのです。
聖書には、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」とあります。ですから、こうしてZoomのようなオンラインの場でクリスチャン同士が語り合うことも教会ですし、一般家庭で数人が集まってお茶を飲みながら交わることも教会です。
こうした経験を通して、正しい聖書の知識を広く伝えていきたいと思うようになりました。
アートや本、さまざまなメディアを通して、キリスト教に直接関わりのない方々にも聖書の世界に触れてもらいたいのです。一般の出版やアートの領域でそれを伝えていくことが、自分に与えられた召命なのではないかと考えています。
宗教改革は、まだ終わっていない。
――今後、取り組んでみたいことはありますか?
個展を訪れてくださった出版社の方からお声がけいただき、聖書の『ダニエル書』をアートと文章で解説する全6巻のシリーズを制作しています。現在、第2巻の執筆に取り組んでいるのですが、将来的には、このシリーズを一冊の大きなハードカバー本としてまとめたいと考えています。
また、少しずつクリスチャンアーティストの仲間も増えてきました。これからは「Bezalel」の活動も含め、さまざまな形で発信の幅を広げていきたいと思っています。

小泉さんが手がけるダニエル書の解説本第一巻
――さまざまな経験をされてきましたが、心が折れそうにはなりませんでしたか。
むしろ、「もっと頑張ろう」と思うことの方が多かったですね。それは間違いなく、聖書の言葉に強められたからです。
聖書には「世があなたがたを憎むなら、まずわたしを憎んだことを知りなさい」(ヨハネによる福音書15:18)とありますし、山上の垂訓(マタイによる福音書5~7章)でも、「義のために迫害される人は幸いだ」と語られています。
神様ご自身が同じような経験をされ、クリスチャンの人生には困難や迫害があることを示してくださっている。だからこそ、迫害する人が現れたり、困難に直面したりすることは、自分が進むべき道を歩んでいる証しだと受け止めてきました。
――最後に、小泉さんが思い描く未来について教えてください。
仲間ともよく話し合うのですが、日本ではクリスチャンアートの文化的な基盤が十分でないと感じています。
例えば、日本の美術館にはミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、さまざまな西洋美術作品が展示されていますよね。
しかし、制作年代や技法、当時の歴史的背景については詳しく解説されている一方で、その作品が何をテーマにしているのかや、背景にある聖書の物語についてはほとんど触れられていません。
例えば、ジャン=フランソワ・ミレーの《落穂拾い》が『ルツ記』を背景にしていることや、《種まく人》が福音書に登場する「種まきのたとえ」と深く結びついていることを知らない人も多いのではないでしょうか。
将来的には、私自身も作品を制作・発表し続けながら、聖書にまつわる正しい知識や美術の技法を体系的に学べるような教会のような場所をつくれたらと思い描いています。
先ほどもお話ししたように、本来、教会は組織化する必要はなく、ひとりでも多くの人に伝わり、信仰を持つことができればそれでいいんです。洗礼も教会に入会するための儀式ではなく、「神様を心に迎え入れる」という信仰告白を行動で示すものです。
そんな新しいクリスチャン文化をつくるために、アートは大きな役割を果たすと考えています。
宗教改革を進めたマルティン・ルターの時代にも、その思想を広めるうえで芸術家の存在が大きな役割を果たしました。なかでもアルブレヒト・デューラーは、活版印刷という当時の最新メディアを活用しながら、多くの人々にメッセージを届けました。
私もまた、アートや本というメディアを通して聖書の世界を伝える、現代のデューラーになれたらと願っています。
――素敵なお話をありがとうございました。
小泉恵一さんのInstagram:@keiichi_koizumi
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