貧困、被災と復興、男女差別。アートの裏側にある「声なき者」たちの声/油彩作家・林 美蘭さん(後編)

「女性という美について」をテーマに、多彩な作品を手がける油彩作家・林 美蘭さん。前編では洗礼を受けた背景などについて伺いましたが、後編では近年積極的に取り組んでいるという「アート×コミュニケーション」のお話を中心に伺います。

――インドから帰国後、活動や作風にも変化が?

そうですね。その時から、アートを中心にしたコミュニティづくりについて考えるようになりました。
インド滞在中は、“アンタッチャブル”な人々を描いていました。当時のインドでは、既にカースト制度は廃止されていたのですが、人々の意識の中には根付いているんだな、という体験を何度もしました。そのカーストの最下層の、さらに下に位置する人々が“アンタッチャブル”と呼ばれる被差別民です。私は彼らの傍らに、イエス・キリストが友人として寄り添っている姿を描き続けました。
帰国後、日本にもアンタッチャブルな人々はいるのでは、と気付いて描いたのがホームレスの人々です。ところが「こんな絵は売れない」と言われてしまって。(苦笑)

――なるほど……。

例え売れなかったとしても、これらの作品は記録であり、彼らが確かに「いた」という証拠でもある。だから私には描く必要があるんだ、と今も大切なヴィジョンとして持っています。

同じ頃、インドで出会った友人の1人から「視覚障害の子どもたちのために、クレヨンのラベルを開発したから日本でも広めたい」と相談され、千葉県の盲学校に行く機会がありました。残念ながらこの提案は受け入れられませんでしたが、この学校で使われていたペンタイプの補助道具が本当に素晴らしくて。マシンにはヒーターが付いていて、ペン先から融けた蜜蝋(みつろう)がインク代わりになって、凹凸のある絵を描くことができるんです。蜜蝋はすぐに固まるし、熱くないので、目が見えなくても、自分の描いた線を触って確認しながら絵を描いたり、色を塗ったりすることができます。
その時に見せてもらった作品が本当に素晴らしいものばかりで、作品展示を行うためのアートチームを作りました。今も継続して活動しています。

――とても楽しそうな取り組みですね。

2011年には起きた東日本大震災の際に福島第一原子力発電所の事故が発生しましたよね。この時も、行きたい、記録したいという想いがありながらも、恐怖が勝ってしまって行くことができませんでした。
2年経った2013年に「声なき者の友の輪」から“言葉を超えて、アートで人々をつなげてほしい”という依頼をいただきました。当時、「フクシマ」という単語が政治的に使われていて、ひと言「フクシマ」と口にするだけで対立や分断が生まれていました。こうした状況を踏まえたうえで「言葉を超えて」という依頼だったんです。そこでクリスチャンのアーティスト11名で2014年に「フクシマプロジェクト」を立ち上げ、福島県いわき市で取材を行い、制作、発表の機会を設けました。
私が願っていた、インドで行ったワークショップの日本版がようやくスタートしたんですが、「フクシマプロジェクト」は2回で終了しました。というのも、地震や原発事故を乗り越えて前に進んでいこうとする福島の人々に対して、事故が発生したときとほぼ変わらない東京の人々――この格差、ギャップがありすぎて、心がついていかなくなってしまったのです。
ただ、この経験を通して地域×アートとの結びつきについても考えるようになり、2018年に、私の拠点でもある千葉県八千代市内のカフェを舞台に「ART×CAFE八千代まちなかコーヒー香るアートラリー」というプロジェクトを立ち上げました。作り手はカフェに合わせた作品を制作し、カフェではその作品を販売する。お客様には、プロジェクトに参加しているカフェを巡ってスタンプラリーを楽しんでもらうというものです。

――作品のテーマはどうやって決めているのでしょう?

やはり、福島での経験が大きく影響しています。震災から5年経った2016年に、もう一度福島へ行く機会がありました。どんどん街の復興が進み、ポジティブに活動している一方で、そういう人ばかりではなかった。
滞在中、子どもたちの被曝について訴える活動をしているお母さんたちのグループから、原発事故は今まで福島が抱えてきた課題が露呈したに過ぎないのだと聞かされました。震災の前から福島は耕作放棄地の面積が日本で最も広く、乱獲や高齢化による漁業離れも進んでいたそうです。そして、根深い男尊女卑が存在することも知りました。「女性だから」という理由で、意見を聞いてもらえないんです。その話を聞いた時、とてもショックでしたが、私自身もまさに同じ環境で生きてきたことに気づきました。父が母にしてきたことそのものだったんです。

そこから“フェミニズム“という価値観に出会い、作風も変化していきました。
クリスチャンの間で広く言われている「女性は男性を立て、仕えることが召しである」ということに対して疑問を持つようになりました。また、西洋絵画で描かれてきた女性の多くは、男性の異性愛者が見る女性の美のあり方だということにも気づきました。女性である私たちが考える“美”は、どこにあるか考えてみよう、そんな思いが今の作品につながっています。

――ちょっとわかるかも……。ずっと、少年マンガに登場する、女の子の胸やお尻が異様に誇張されているのを見るたびに「こんな女の子いないってば」と思っていました。

そうですよね、色々突っ込みたくなりますよね(笑)

――でも、ここ数年で時代は大きく変化しましたね。ジャニーズ事務所社長の性加害問題をはじめ、これまで明るみに出なかったことが注目されるようになりました。
それによって発言しやすくなったりはしているのでしょうか?

確かに社会は大きく変化していますが、残念ながら発言しやすくなったとは感じないですね。明るみに出れば出るほど、バックラッシュ(反動)も大きくなるので……。

――ちなみに、クリスチャンではなかったら、今頃ご自分はどうなっていると思いますか?

どこかで死んでいたんじゃないかな、と。(苦笑)
生き延びていくためにはお金が必要で、普通にアルバイトをしているだけでは到底生活できません。私もかつてキャバクラで働こうか迷っていたことがありましたし、もしもクリスチャンでなかったら、お金のために風俗で働いたはいいが、精神的にまいってしまって自死を選んでいたのでは、と思います。

――いわゆる夜のお仕事をされている女性にも思いがありますか?

いろいろな人がいると思うのですが……夜の仕事をしている女性に限らず、高校を卒業して、進学以外の手段で親がいる場所から出たいとなると、選択肢が少ないのが問題だと感じています。
もちろん、自分で望んでその仕事を選んでいるのであれば問題はないでしょう。ただ、一般的に、高卒の人材、特に女性を高待遇で雇ってくれる会社は少ないし、お金が欲しかったらそれこそ風俗で働くか、安定した生活を得るために生活をするか……。身近にもそんな形でした結婚をした女性がいるのですが、そうなるともはや結婚=商売ですよね。この選択肢の少なさはやるせなく、何とかならないのかと思います。

――最後に、これからやってみたいことがあれば教えてください。

小学校の卒業文集に「将来は絵で世界を回りたい」と書いたのですが、世界中を回って、いろんな景色を見てみたいですね。
また、絵を通して女性が自立できる仕組みを作れたら、と思い描いたりもしています。

もっと身近なところでは、昨年、「<101・人> 関東大震災から101年—人災の記憶を未来に伝える—」というプロジェクトに参加しました。関東大震災時の朝鮮人虐殺から100年を経て、フィールドワークや証言をもとに制作した作品の展示を行ったのですが、今後もこうした活動を続けていきたいと思っています。
といっても、私の作品は拳を振り上げて奮起する人を描いているわけではなく、クリスチャンに向けた作品にしても、いわゆる宗教画とは違ったものを描いているので、どこまで伝わるかわかりませんが……。

――言葉や目に見えるものでは表現しきれないことを伝えられるのが、アートの魅力だとも思います。貴重なお話をありがとうございました。

林 美蘭さんのホームページ


KASAI MINORI

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主にカレーを食べています。

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