どんな子どもも参加できる、オールインクルーシブな合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の芸術監督を務めるコロンえりかさん。その活動は、世界でも注目を集めています。
前編では子ども時代のお話を中心に伺いましたが、後編では、「ホワイトハンドコーラス」の魅力や思い描く未来について伺いました。
――改めて、「ホワイトハンドコーラス」とはどんなものでしょうか。
1995年にベネズエラの無償音楽教育プログラム「エル・システマ」から生まれた合唱隊で、メンバーには視覚・聴覚障害がある子どもや、発声に困難を抱える子どもなど、体のどこかに障害(※)がある人も、ない人も含まれています。
歌を歌う「声隊」と、手話で表現をする「サイン隊」で構成されていて、サイン隊が手にはめている白い手袋からホワイトハンドコーラスと名付けられました。
私は初めて彼らのパフォーマンスを見た時に、音楽としての素晴らしさだけでなく、社会にあるさまざまなバリアを取り払って、みんなで一つになれる美しさに胸を奪われました。
日本でも同じことができないだろうかと、2020年に一般社団法人エル・システマコネクトを立ち上げ、「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の活動をスタートしました。聴覚障害がある子どもたちを中心に、手話で歌を表現する「手歌(しゅか)」の取り組みからはじめ、視覚障害者の子どもたちも一緒に、ハーモニーと音楽の楽しさを届けることを追求しています。
現在は東京、京都、沖縄の3地域に広がり、全国で拠点を増やしています。
※音声読み上げソフトを使用した際に正しく読めるよう、この記事では「障害」の表記を採用しています。
――「手歌」はどのように生まれたのでしょう?
ろう者がコンサート会場へ足を運び、音楽作品と出合った時に、何を伝えているのかがわかるようにと考案したものです。
まず、日本には「日本語対応手話」と「日本手話」があります。
「日本語対応手話」は日本語の文法に沿って表現されるものですが、「日本手話」は独特の文法に加えて、視覚的な表現も重要です。ろう者が日常的に使っているのは日本手話で、ホワイトハンドコーラスでも日本手話を使っています。
日本手話はとても表現力豊かで、詩的な要素もあって、音楽ともすごく相性がいいんですね。手歌では単に歌詞を手話に翻訳するだけではなく、作者の意図や時代背景など、色々な角度から作品と向き合い、想像力をめぐらせながら、手の抑揚や表情なども使って表現しています。
だから、耳が聞こえる人でも、外国語で歌われる歌詞の意味はわからないけれど、手歌を見ているとなんとなく意味が伝わるということもあるんですよ。
――すごくクリエイティブですね。
そう、本当にクリエイティブな世界なんです。
歌詞の翻訳は難しく、表現者にも想像力の訓練が必要ですが、活動を続ける中で大人も子どももいろんなことを想像する力が付いてきました。
目が見えない人、耳が聞こえない人など、他者が生きる世界を想像することは、身近にいる人のことを理解したり、誰かの痛みを想像したり、自分自身を理解することにもつながります。
そう考えると、このプロセスは、音楽だけにとどまらない大切なスキルを育んでいると思います。
――今年2月には世界のバリアフリーな活動を表彰する「Zero Project Award 2024」に選ばれました。
会場の、ウィーンの国連事務局にも行かれたんですよね。
はい。アワードを受賞に加えて、特別にオープニングとクロージングのセレモニーに招かれ、演奏する機会が与えられていました。
そもそも「Zero Project」は、国連障害者権利条約の原則と目標に基づき、バリアのない世界を目指し活動することを目的とし、オーストリアのエスル財団が2008年に設立したものです。これまでにも、また今回も世界中から素晴らしい活動をされている方々がいらっしゃったんですが、授賞式に子どもたちが参加したのは初めてなんです。とても誇りに思いました。
――印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
ウィーン滞在中は、国連の障害者雇用ネットワークの方と子どもたちが話し合う場も設けられました。
国連は、「nothing about us without us(私たちのことを、私たち抜きで決めないで)」をスローガンに障害者権利条約を作成しましたが、様々な意思決定をする際に、ほとんど子どもたちの意見は取り入れられてこなかったんですね。
大切なことを決断する際は、大人ばかりではなく、未来の社会を作っていく人たち、新しい感覚を持って生まれてきた人たちの意見を取り入れる必要があることを痛感しました。
私が11歳で洗礼を受けた時の、あの清らかな魂はもう戻ってこないけれど、子どもたちはみんな、まっすぐに真実を見る目や、語る言葉を持っている尊い存在です。
大人たちがその声に真剣に向き合うことで、もっとこの世界は良くなるのではないでしょうか。
私はこの活動を通して、子どもたち自身が、自分が生きる社会に対して責任を持つようになっていく様子見てきました。子どもたちに「あなたたちは、日本の社会についてどんな風に考えているの?」と尋ねると、真剣に考え、一人一人が自分の想いを伝えてくれます。
例えば、日本手話で障害者は“壊れた人”と表現するんですね。あまりに長い間使われてきた表現だから、大人たちは「そういうものだ」と慣れ、受け入れてしまっていますが、ある若い世代の人が異議を唱えました。
「私たちは人間であって、モノではありません。まるでモノが壊れたように表現するのはやめてほしい。そもそも、耳が聞こえないことで、何か足りていないことがありますか?」と。
こんなエピソードもあります。
あるろう者の両親の間に女の子が生まれました。彼らは、娘が同じようにろう者であることを知った時に「静けさの中にある豊かな幸せを、子どもとも共有できる」とすごくホッとしたと言ったのです。
また、人工内耳を装用することで聞こえるようになるケースもありますが、「神様にもらったこの体が完璧なのだから」とあえて手術を選ばない人もいます。
こうした話を聞くたびに私はハッとさせられますし、“壊れた人”と表現するのは良くないと思うのです。
ウィーンから帰国後、京都チームが京都市議会に招かれた際、小学6年生のメンバーが議員の皆さんに向けて「私たちは自分のことを壊れているとは思っていない」とスピーチをし、バリアをなくしたいと訴えかけました。
これをきっかけに、京都市議会は内閣総理大臣、衆議院議長と各担当大臣宛に手話表現を変えるための意見書を提出してくださったんです。本当に感動しました。
――子どもの声を大人が受け入れてくれたんですね。
子どもたちと接するようになって、気づいたことはありますか?
この活動を通して、この子たちがいれば未来は大丈夫だと思えるようになりました。
大人として子どもたちに教え、伝えなければならないこともたくさんありますが、それと同時に子どもたちからたくさんのことを教えてもらっています。
子どもたちに対して「こんな大人たちでごめんね」という申し訳なさと同時に、「明日はきっともう少し良くしていきたい、だから力を貸してください」という気持ちで一人一人と向き合っています。
――今後の展望や、思い描く未来について教えてください。
いま、ろう者の人たちと一緒に“見える音楽”を作っています。
私はソプラノ歌手として、音を磨くことに力を注いできました。本来、音の向こう側には魂が触れ合うエネルギッシュな部分があり、音だけにこだわるとそれが伝わらない。結果として、耳が聞こえない人を音楽の世界から疎外してきてしまいました。また、聞こえる人の中には「音が聞こえないから、わからないだろう」という思い込みもあったと思うんです。
実際は、ろう者には彼らの音楽の世界があるし、耳が聞こえない人にも音楽は届くんです。
――“見える音楽”とはどんなものでしょう?
手歌のライブパフォーマンスに加え、2021年から写真家の田頭真理子さんと「写真」で音楽を可視化するプロジェクトも始めました。「第九のきせき」シリーズでは、指先にLEDライトを仕込んだ手袋を使って光の軌跡で音楽のエネルギーを写し出す方法を田頭さんが考案し、これまで国内外で7回写真展を開催しています。
写真展では、目の見えない方も楽しんでいただけるように、隆起印刷の技術を使ってCANONに制作協力を頂いた「触れる写真」を展示したんですよ。
今後も障害の有無や年齢、国籍などに関わらず、多様な人達と対話をしながら、色んな発想の転換の連鎖を広げ、音楽の次元を広げていけたらと思っているところです。
――12月24日には「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の東京公演が開催されます。どんなコンサートになりそうですか?
今回のコンサートではホワイトハンドコーラスのメンバーの他に、駐日大使・大使夫人女声合唱団も参加する予定です。
これは私が10年前に立ち上げたグループで、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、中東、北米、中南米からアメリカ、パレスチナも含む各国の大使や大使夫人が参加しています。今、世界では様々なことが起きていますが、それらをすべて横に置いて、平和のために心を一つに、クリスマスの喜びを伝えるために練習をしています。
――とても素敵ですね。
これからのご活躍も楽しみにしています。
【profile】
コロンえりか/ベネズエラ生まれ。聖心女子大学、大学院で教育学を学んだ後、英国王立音楽院声楽科修士課程を優秀賞で卒業。イタリア、フランス、イギリスでの音楽祭出演、国内外で演奏活動を続けながら、ホワイトハンドコーラスNIPPONの芸術監督として、視覚・聴覚など障害のある子どもたちに音楽を教えている。駐日ベネズエラ大使夫人、4児の母として、忙しい日々を送る。