生まれ育った川崎を拠点に、ラッパー、詩人として活動するFUNI(フニ)さんのインタビュー。前編では、自身のバックグラウンドやラップとの出合いについて伺います。
――さっそくですが、ご経歴から教えてください。
生まれ育ったのは川崎市南部の京浜工業地帯です。父親が在日コリアン2世、母親はいわゆる“ニューカマー”※のコリアンで、両親ともに韓国人ではあるのですが、父は日本語しか話せない、母は韓国語しか話せない。事実上は国際結婚のような環境ですね。
だから、自分を含めてきょうだい4人は「一体自分は、何人なんだろう?」とずっと考えていましたが。このときに覚えた“自分を疑う”感覚は今も表現の根底にあります。
※在日韓国・朝鮮人をめぐる表現について。
一般的に、日本の朝鮮植民地支配によって渡日し、戦後も日本に残り、生活をしている人々およびその子孫を「オールドカマー」、中でも韓国や朝鮮国籍をもつ人々を「在日コリアン」と表現します。それに対して1980年代以降に渡日した外国人が「ニューカマー」と呼ばれます
――ずっと自分とは何か、答えを探し求めていたというか。
ダサいですよね(笑)
――いえいえ、そんなことは(笑)。ライフステージが変わるとまた新しい疑問が浮かんだりすると思うんです
まさにそうなんですよね。ピカソに「青の時代」、「バラ色の時代」があったように、どのステージでも常に一生懸命に生きながら、自分とは何かを探していました。
――キリスト教との出合いは?
僕は宗教2世なんです。もともとは母が、在日コリアン1世が立ち上げた川崎の教会に通い出したのがきっかけです。初めは気兼ねなく韓国語で話せるコミュニティを求めていたようですが、信仰を持つようになって。その後、父も母に引っ張られて教会に通いはじめ、信仰を持つようになりました。
だから、よくある話ですが、僕は母のお腹の中にいた頃から教会に行っていましたし、教会が運営する保育園に通っていました。
――教会はどんな雰囲気でしたか?
在日コリアンに対する民族差別が激しい中に建てられた教会で、さまざまな困難と向き合ってきました。単にテキストとしての聖書を学ぶだけでなく、日本社会における生きづらさをムーブメントで変えていこう、という社会活動の拠点にもなっていました。
僕が通っていた教会も、当時、外国人の子どもを受け入れる保育園がほとんどない中で、日本でめちゃくちゃ働いていて、子どもの面倒を見てもらわなければ働くことさえできない外国人労働者のために創設したものなんです。その後、社会福祉法人として認可を受け、障害がある子どもたちのケアなど、社会から「弱者」とされている人々に寄り添う活動を続けています。
――FUNIさん自身はどんな子ども時代を送られていたんでしょう?
日曜日の朝はTVで戦隊モノを観たかったのですが、親に教会へ連れて行かれて。嫌だなぁという思いはありました。
ひと言で「在日コリアン」といっても、ほとんど日本で生まれ育った子どももいれば、僕みたいなミックス、両親ともにニューカマーな子もいたり、家庭環境もバラバラでいわゆる“ボンボン”もいれば、不良もいたりとバリエーションが本当に多くて。「俺たちって、いったい何人なんだろう」と思っている仲間がたくさんいました。
教会というとホーリーなイメージがあると思うんですが、僕らは礼拝に出ず、仲間で屋上に集まってタバコを吸ってました。
僕がラップに出合ったのも教会の屋上なんです。不良の先輩にCDを貸してもらって、「超ヤバイ!」ってハマって。それからは、毎週日曜はみんなで、屋上でラップしてましたね。
当時――95年頃かな、ちょうど日本にヒップホップのカルチャーが入ってきた時期でもありました。アメリカのMV(ミュージック・ビデオ)を観ていると、川崎で撮影したんじゃない?と思うような作品もたくさんあって。(川崎は)外国人労働者も多かったし、街にしっくり馴染んだというか。
――当時のヒップホップは、万人受けしづらいというか、ちょっと怖いイメージもありましたね。
そうですよね。今でこそ市民権を得ていますが、アンダーグラウンド、“不良の音楽”と思われがちでした。いや、今でもそうかな(笑)。
親にもヒップホップなんて、と反対されたんですが、ある年に教会のクリスマス会で披露したところ、大評判だったんです。
――クリスマスの教会でラップ! 新しいですね。どんなことを伝えたのでしょう?
世間に在日コリアン=かわいそうな人たちみたいなレッテルがあるとしたら、そんなのクソでしょ、とか、俺たちの人生は俺たちで決めるんだから、勝手に決めつけるなよ、とか。まだオリジナルではなく、コピーに近いような形でしたね。
当時の自分たちはクリスチャンとして生きていくことも、神様の存在も、お祈りもだるくて、「俺達には俺たちのやり方があるんだ」と思っていたんですね。その想いをそのまま爆発させました。めちゃくちゃ怒られるんじゃないかと思っていたんですが、むしろ「いいじゃん」という反応で。
――まっすぐな言葉に大人たちも心を打たれたというか。
僕が通っていた教会の社会的なムーブメントって、まさに“ストリート”文化なんですよね。ストリートなんだけれど、活動する中でドグマ化されていく雰囲気を僕らは肌で感じていた。
どうやら黒人教会の在り方も似ていて、公民権運動(※)とか、ストリートで「Power to the People!」と叫んだりしていたのに、僕らの世代になると「教会に来るときはちゃんとした服装で来い」とかドグマ化されていったみたいで。
本当は「自分たちは一体なんなのか」を知りたくて、救いを求めていたのに、教会がその答えをくれるわけでもなく、むしろ教会が用意するフォーマットに合わせられないなら出ていけ、という雰囲気だった。出て行けたらいいんですけど、未成年で自立する力もなく、共存しながら力を蓄えていきました。
※公民権運動……1950年代後半から60年代前半に活発となったアメリカ黒人(アフリカ系アメリカ人)の基本的人権を要求する運動。
後編に続く
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