芸歴13年、3度のコンビ解散を経て親友と再出発。/お笑いコンビ「アイアム」

「お笑いを通して聖書のメッセージと笑顔を届けたい」と話すのは、2021年に結成したお笑いコンビ「アイアム」の新垣勝利(あらかき・しょうり)さん、金城真偉(きんじょう・まさい)さん。全国各地の教会やイベントで漫才を披露するほか、MCなど活躍の場を広げています。前編では2人の出会いから、「アイアム」結成までの道のりを伺いました。

――お2人の出会いから教えてください。

しょうりさん(以下、敬称略):僕もまさいもクリスチャンホーム育ちで、小学生の頃に教会で出会いました。
まさいのご両親には聴覚障害があり、手話でのコミュニケーションが中心の教会に通っていたのですが、子どもたちにも神様のメッセージを伝えることに力を入れている教会を求めて、僕が通っていた教会に行きついたそうです。
でも、その頃はお互いの存在を認知してはいたものの、仲が良かったわけでもないんですよ。

まさいさん(以下、敬称略):当時、教会には50人近くの子どもがいて、僕としょうりは2歳差があることもあって、同学年の子たちと遊んでいました。

沖縄で同じ教会に通っていた頃のしょうりさんとまさいさん

しょうり:大学受験のタイミングで、仲の良かった同級生たちがどんどん県外の大学に進学してしまって、教会で遊べる相手がいなくなってしまって。
誰かいないかなぁと見渡していたら、まさいがいたという感じです(笑)

まさい:僕は高校で吹奏楽部に入ったのをきっかけに教会から離れていた時期があったのですが、部活を辞めて教会にもう一度通うようになったタイミングで声をかけられました。

しょうり:礼拝が終わってから「ラーメン食べに行かない?」って誘ったんです。そこからだんだん仲良くなって、“親友”と呼べる関係になりました。
今思えば、ラーメンが2人の時間のピークだったかも(笑)。

まさい:あららら、そこが1番ピーク!?

――お笑い芸人になろうと思われたきっかけは?

しょうり:僕はもともとお笑いが大好きなんですが、初めて人前で漫才をしたのは、中学2年生の時です。
文化祭の出し物に「お笑い部門」があると聞いて、同級生を誘って参加しました。
この経験がすごく楽しくて、もっと漫才をやってみたくなったんですね。

漫才の楽しさにのめり込んでいった学生時代のしょうりさん

それで、友人とお笑いコンビ「インパクト」を結成して、沖縄のお笑い事務所が開催する月1回の定期ライブに、一般参加という形で出演させていただくようになりました。
でもまだ、この時はお笑いではなく、プロゴルファーを目指していたんですよ。

――お笑いとゴルフ! 多彩ですね。なぜお笑いを選ばれたんでしょう?

しょうり:僕が教わっていた先生がとても厳しい方で、うまくできないとゴルフクラブのヘッドで頭を殴られるんです。
でも、県内2位や全国3位を獲るなど、着実に成績は上げていたので、それが当たり前だと思っていました。
毎週のように殴られて、時には血も出たりして…ついには「これからゴルフだ」と思うだけで吐き気がするようになってしまって。
それまで両親にも言えずにいたのですが、さすがに気づかれて、事情を伝えたら半ば強制的に辞めることになりました。
僕自身も、ゴルフそのものが好きではなくなってしまい、そのまま離れてしまいました。

一方で、お笑いコンビとしての活動がどんどん楽しくなっていたんですね。高校1年生の時に、アマチュアとプロ1年未満の芸人を対象にした「フレッシュお笑い選手権」で優勝したのをきっかけに、本格的にお笑い芸人になりたいと思うようになりました。
でも、当時の相方にとってはあくまでも趣味程度でしかなかったようで、高校卒業と同時に別の友人と「クーターシンカ」というコンビを組むことになりまして。
クーターシンカ時代は事務所にも所属して、平日は大学に通い、休日はお笑いライブなどに出演して…という生活を送っていました。

「クーターシンカ」時代のしょうりさん。※クーターシンカとは沖縄の方言で「顔が濃い」とのこと

大学を卒業するタイミングで、いよいよ就職をするか、このままお笑いを続けるか考えた時に、やっぱりもっとお笑いを続けたいという思いが強かった。
お笑い1本で食べていくのは難しかったことと、本土のお笑いへの憧れもあったことから、上京することに決めました。

まさい:テレビのレギュラー番組も決まっていたのに、それを蹴ったんだよね。すごい決意だったよね。

しょうり:そうなんです。「東京に行ったら絶対に売れる」という自信がありました。
ただ、当時の相方は沖縄に残って活動を続けたいということだったので、またコンビを解散して、僕1人で上京しました。

――いよいよ、まさいさんとコンビ結成ですか?

しょうり:ではなく……。先に上京して神学を学んでいた、クリスチャンの幼なじみと「イマジン」というコンビを組むことになりました。
彼とはルームシェアしながら2年間くらい活動していたのですが、うまくいきませんでした。
当時の僕は本当に高慢で、養成所に入らなくてもオーディションさえ受かれば売れるだろうと思っていたんですが、そんなに甘くなかった。
オーディションには落ちまくり、自分でお金を払って参加するライブに出ても、思うようにいきません。
コンビニでアルバイトしてはいたものの、常に生活はギリギリです。心が折れそうになりながらどうにか続けていたら、ついに相方から「もう辞めたい」と言われました。
前ぶれもなかったので、僕にしてみれば何で!?という感じだったのですが、ネタ合わせをしている時や、舞台に立っている時の勝利の顔が怖いと言われてしまって。
いろいろ話し合った挙句、結局また解散することになりました。

――しょうりさんは、お笑いを諦めようとは思わなかったのでしょうか?

しょうり:さすがにもういいかな、と思っていた時期もありました。

必死に売れることばかり考えていた頃は教会から離れていたのですが、解散後にもう一度通うようになり、折れた心に回復が与えられました。
そこで初めて「お笑いを、神さまのために生かしたい」と思ったんです。

――それまではいわゆる、ウケるネタばかりだった?

しょうり:そうです。クリスチャンの友人が相方だった時さえ、とにかく売れるための芸をやることしか考えていませんでした。(苦笑)

早速「クリスチャンの名前」という、聖書をベースにした漫才ネタを書いたのですが、漫才をしようにも相方がいない。
そんな時に、1年ほど前からルームシェアしていたまさいに声をかけたんです。
まさいとだったら、同じゴールに向かって進んでいける。そう思いました。

――ついにまさいさんの登場ですね!
それまでまさいさんは、どうされていたんですか?

まさい:音大を目指して勉強していました。
音大受験はピアノが必須なので、高3でゼロからピアノも学び始めたんです。個人レッスンの先生に「今からピアノを習い始めても、音大受験はできますか?」と聞いたら「3浪は覚悟してください」。

学生時代のまさいさん。ひょうきんで明るい性格は今も変わらない

でも、ストレート合格は難しいと聞いていたので、3浪くらいは仕方ないだろうという気持ちで習い始めました。
初めての受験はもちろんダメ。1浪して、2回目の受験の際は…応募期間を把握していなくて、必要な書類を提出しそびれてしまったんです。
志望校のレベルを下げて挑んだら2浪目もダメ。次こそは、と挑んだ3浪目では、提出するべき応募書類を把握していなくて…。

――3浪と言いつつ、実質受験したのは2回だけ…?

まさい:そうなりますね。(苦笑)
個人レッスンの先生に話したら「君は初めから音大に行くとは思っていなかったよ」と言われてしまいました。
いま思えば、音大で何を学ぶかではなく、単に音楽が好きで、周りからも音大に行ったらと言われるから、となんとなくの理由で目指していたんだと思います。
それでも自分なりに頑張ってきましたし、3浪してもなお忘れ物をしてしまう自分に、相当落ち込みました。
これ以上親に心配をかけたくなくて、「どうだった?ちゃんと提出できた?」と聞かれて、つい「バッチリだよ!」と答えてしまって…。

しょうり:その日、ぼくに電話があったんです。当時の僕は東京で思うようにいかず、精神的にかなりキツい時期で…。
2人で電話しながらめっちゃ泣きました。
でも、話を聞きながらだんだん、まさいってめちゃくちゃ面白い奴かもしれないと思いはじめて。
もう受験はしない、これからどうしようと言うので「一緒に住む?東京に来たら何か変わるかもしれないよ」と誘いました。

まさい:何がやりたいとか明確にはなかったのですが、漠然と東京には夢がある、こんな自分でも変われるんじゃないかと思って上京しました。
しょうりは「イマジン」として、自分も音楽の道で大成功する!と信じていました。

今でも音楽は大好きというまさいさん。単独ライブでは初の“音ネタ”も披露した

――その時はまさかご自分もお笑いの道に進むとは思っていなかったんですね。

まさい:そうですね。お笑い自体、嫌いではないけれど、そんなに興味もなくて。自宅のテレビでたまたま流れていたら観る、という程度で。
だからしょうりから誘われた時は本当に驚きました。

――一緒にお笑いをやろうも言われて、まさいさんはどう感じましたか?

まさい:びっくりしましたし、一方で、嬉しさもありました。
お笑いに真剣に取り組むしょうりの姿はいつも見てきましたし、そんな彼が誘ってくれるということは、自分には見込みがあるのかもしれないと思って。
それと同時に、しょうりの熱意に応えられるか自信が持てず、軽い気持ちで応えてはいけないと思いました。
だから即答はせず、少し時間をもらって祈りながら考えたのですが、不安よりも「やりたい」という気持ちの方が強かったので、コンビを組もう!と決心したんです。

後編へ続く。

YouTube公式チャンネル:アイアムの「We are アイアム」
アイアム(Instagram):@weare__iam

KASAI MINORI

KASAI MINORI

主にカレーを食べています。

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