音が変われば、礼拝が変わる。/サウンドエンジニア・小林仰志さん(前編)

高校生の頃、礼拝の音響管理を任されたことを機に興味を持ち、サウンドエンジニア(PA)の道へ進んだ小林仰志(こうじ)さん。2024年3月には独立し、「マグズサウンド」を立ち上げました。コンサートやイベント、講演会など様々な現場で活躍するほか、全国各地の教会の音響機器の調整等も行なっています。前編では、音響の仕事に出合い、惹かれたきっかけについて伺いました。

――さまざまな音楽関係のお仕事がある中で、ボーカルやギタリストなど表舞台に立つ職業ではなく、裏方である音響に興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか?

実は僕も、小学生の頃からドラムをやっていて、ドラマーとして表舞台に立つことを夢見ていたんですよ。でも、高校生の時に同い年の“スーパードラマー”に出会って挫折したんです。
自分よりも上手い人に会った時、「もっと上手くなって、あいつを超えるぞ!」と思う人も多いかもしれませんが、僕にとっては「こんなにすごい奴がいるんだ…」というショックの方が大きくて、ドラムで食べていくのは無理だと悟りました。そして夢を諦めたら、ドラムを叩くことも、音楽そのものもいやになってしまいました。

ある時、牧師である父から「教会の音響設備をリニューアルするのでやってみないか」と言われました。教会内に扱える人がいなかったということもありますが、自分も父親になって改めて振り返ると、ショックを受けて落ち込んでいる息子に対して、何か別の形で音楽に携わることはできないか、考えてくれたんじゃないかなと思います。

――実際に、音響設備に触れてみていかがでしたか?

とにかく苦労しました。何もわからないまま、手探りで操作するしかなくて……。
音って、人によって聞こえ方が全然違うんですよね。礼拝後に「全体的に大きすぎた」、「この楽器の音が聞こえなかった」と言われたり、礼拝中にハウリング現象が発生してしまったり、トラブルや苦情の連続でした。
自分としては一生懸命頑張っているのに……と辛かったです。

――ゼロから1人で始めるのは想像以上に大変だったと思います。くじけたり、辞めたいと思ったりしたことは?

もちろん、辞めたいと思いました。(苦笑)
でも、父にもそう伝えたら、「今は便利な時代だから、インターネットで調べたらヒントがあるかとしれないよ」と言われたんですね。僕も素直だから(笑)、その言葉に従って調べ始めたら、色んな問題の解決方法も少しずつわかってきて、「父に言われてやっている、教会での奉仕活動」から「興味」へと変わっていったんです。
それまで保育士を目指していたのですが、もっと音響のことを本格的に学びたいと思うようになり、上京して、専門的に学べる学校に進学することを決めました。
音響を学ぶことで、礼拝の時間がより良いものになってほしいという思いと同時に、これまで色々言われた人たちを見返したいという思いもあったと思います。

――音響の仕事は本当に重要で、礼拝にしても、舞台やコンサートにしても、音がクリアに聞こえるのは当たり前ではないんですよね。
お父様が牧師とのことですが、どんな子ども時代を過ごされましたか?

神様の存在はもちろん、毎週礼拝に参加することも、家族で聖書を読んだり、祈ったりすることが当たり前の環境で育ちました。
でも、あまりにも当たり前すぎて、神様の愛とはどんなものか、本質をわかっていなかったと思います。

――人生の転機を迎えたのはいつ頃ですか?

専門学校を卒業してからです。上京して初めて親元を離れた頃の僕は、まるで糸が切れてしまった凧のような状態でした。初めの内は、卒業したら地元に帰って教会の礼拝のために力を尽くすんだと思っていたはずが、人生の道は自分で切り拓くしかないと思うようになり、だんだん著名なアーティストのライブや、大きな会場で仕事がしたいとエスカレートしていって……卒業する頃には地元に戻るなんて考えは消えていて、大手の音響会社に就職をしました。
初めの内は良かったんです。誰もが知っているようなアーティストと一緒に仕事したいという夢も叶いました。ただ、肉体的にも精神的にも本当に大変で、ついにはうつ病になってしまいました。
全国ツアーに同行すれば、家に帰れる日は週に1度あるかないで、人間関係などのストレスも多い。嫌なことを忘れ、気を紛らわせるためにお酒やギャンブルに手を出し、借金を抱えていた時期もあります。でも、お酒もギャンブルも、一時的な満足に過ぎないんですよね。それに気づいたら、自分が何のために生きているのかわからなくなってしまいました。
もちろん、教会からも離れてしまっていますし、息子のこんな現状を知ったら父を悲しませてしまうに違いない、と故郷の両親とも距離を置いていました。この時の僕は、本当に孤独でした。

――ご自分を追い詰めてしまったんですね。

はい。最終的には、生きている意味もわからなくなり、自殺を図ろうとしました。
でも、電車のホームから飛び降りようとした時に、僕の背中をつかんで引っ張った人がいたんです。後ろを振り返ると、誰もいない。その時、「わたしはあなたとともにいる」(イザヤ書41章10説)と聞こえました。初めて神様の声を聞いたんです。それと同時に、自分はいま一体何をしているんだろう、もう一度教会のために尽くそうと、会社を辞めることを決めました。

――家族の慣習としての礼拝や信仰ではなく、ご自身が神様と出会った瞬間でしょうか。

そうですね。退職後、ずっと連絡を取っていなかった両親に電話をかけました。
何を言われるだろう、もしかしたら電話に出てさえもらえないんじゃないか…と不安だったのですが、電話口で父はひと言「ずっと祈っていたよ」と言ってくれました。
そして、これまで僕がどんな風に過ごしてきたかや、現在の状況をすべて話を聞いてくれた後に「今、近くにある教会の牧師にも相談してごらん」と。言われるがまま、当時住んでいた場所から近い教会に行ったら、のちに僕の師匠となるクリスチャンの音響会社の社長を紹介していただいて、独立するまでこちらでお世話になりました。

――運命的な出会いがあったんですね!

この会社の事業の一つに、教会向けの音響セミナーがありました。
僕が教会の音響を担当していた時にいちばん辛かったのが、誰にも教えてもらえなかったことです。これは僕自身が受けたかったセミナーであり、今度は僕が教える立場として、教会の役に立てたら……と全国各地の教会に出向いては、音響設備の設定や、操作方法などを伝えて回りました。

――コロナ禍をきっかけにオンライン礼拝を始めた教会も多く、困っていた方も多かったのでは?

そうですね。実際に「どうやって配信したらいいかわからない」というお問い合わせもいただきましたし、礼拝における音響の大切さに気づいた教会は多かったのではないかなと思います。

後編に続く

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KASAI MINORI

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主にカレーを食べています。

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