いわゆるクリスチャンホームに生まれ、現在は東京・千代田区の女子学院で美術科教諭を務める荒木寛人(あらき・ひろと)さん。前編では子ども時代のお話や、教員を目指した経緯について伺いました。後編では荒木さんが考える「キリスト教主義教育」のあり方について伺います。
――キリスト教に基づいた教育と、一般の学校の教育とでは、何が違うのでしょう?
私自身が今、まさに職場で学んでいることでもありますが、聖書で語られている大切なメッセージ「一人ひとりが神様に愛されている大切な存在である」ことを、うわべではなく、本音で伝えることでしょうか。
女子学院には進学校という側面もあるため、勉強ができる生徒が多いんですね。比較的幼い頃からたくさん勉強をして、成績の良し悪しで評価されたり、比べられたりという経験をしてきているので、他者から見たら些細な失敗がきっかけで「自分には価値がない」と思いやすい傾向があるように思います。
勉強ができることももちろん素晴らしいことですが、できる、できないに関わらず一人ひとりが本当に素晴らしい存在であり、それぞれに与えられているたまもの(※)を肯定すること、一人ひとりが持つ力を信じることが、キリスト教主義学校の教員としてのミッションだと思っています。
これが、生徒が互いを尊重し合うことや、自分自身の可能性を信じてチャレンジすることにもつながるのでは、と考えているんです。
※たまもの……一人ひとりに与えられている個性や才能を表すことば。ギリシア語のタラントは、「タレント」の語源でもある
――小学生の頃からストイックに勉強していたら、確かに「勉強がすべて」という感覚になったり、試験の点数や成績で一喜一憂してしんどそうですね。
そうなんです。入学式ではよく校長――女子学院では院長と呼びますが――聖書からこの一節を読みます。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
ヨハネによる福音書 15:16-17 新共同訳
これを聞いた生徒たちは、どちらかというと反発的で「自分は頑張って受験戦争を勝ち抜いたのに……」という反応が多いのですが、6年間かけてさまざまなことを学ぶうちに、私たちが教育の中で伝えている「神様から与えられているもの」、「たまもの」の意味に気づくこともあります。成長過程の中で、自分が与えられている恵みに気づき、他者のために生かそうと変化する様子を見られるのは、すごく嬉しいことですね。
――生徒さんたちと関わるなかで大切にされていることはありますか?
一人ひとりが神様に出会わせてくださった存在として捉えることでしょうか。接するときは、ビジネスライクにならず、一人ひとりと向き合うことを大切にしています。
そもそも自分が教会で育ったので、公私の隔てがなくて、いつもリビングには家族以外の誰かがいるのが当たり前だったんですね。僕にとってそれはいい思い出でもあって、今も我が家のログハウスは、卒業生がいつ遊びに来てもいいようにオープンにしているんですよ。
――卒業生の方たちともやりとりされているんですか?
全員というわけではありませんが、いまもつながっている卒業生もいますよ。
そういえば、医師になった卒業生から、白衣の下に着用するスクラブに入れる刺繍のデザインを依頼されたことがあります。
2012年に入学した生徒のために作ってほしいということで数字の「12」をモチーフにデザインして、新約聖書マルコの福音書12章の31節、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」を英文で入れました。医療関係に進んだ同期の卒業生たちが着てくれているようです。

荒木さんと、荒木さんがデザインしたスクラブを着用する卒業生で医師の小林香凜さん
――荒木さんが慕われていることが伝わってきます。自分自身にも覚えがありますが、大人の都合、学校の都合に関係なく接してくれていた先生のことは、大人になってからも記憶に残りますね。
そうですよね。僕自身も、愛媛に行かせてくれた大学の先生や、高校の美術の先生をはじめ、たくさんの先生にお世話になってきました。
教え子たちにとって、女子学院での経験が、よい思い出として残っていたら本当に嬉しいですね。
――お話を聞きながら、荒木さんは、生徒さんたちを含めて、これまで与えられたたくさんの出会いに感謝しながら生きてこられたのだなと感じました。
それは本当にそうですね。でも、自分自身の根っこは嫉妬深いし、すぐに人と自分を比較してしまうようなところがあるんです。それから、5人きょうだいで育ったせいか「他人と同じことをしたくない!」という思いも人一倍強いです。例えば、兄が街づくり活動として行ってきた移動式駄菓子屋「三輪駄菓子屋すいすい」がグッドデザイン賞を受賞した際は「おめでとう!すごいなぁ!」という思いと同時に、嫉妬している自分がいたりします。
年齢を重ねるにつれて、こうした自分の“弱さ”でさえも神様から与えられたものであり、与えられたものはすべて活かしなさいと言われているような気がしています。
――年齢を重ねるほど、傷や失敗も含めて、すべて無駄な経験はないと感じるようになりますね。これからやってみたいことはありますか?
実は、自宅に屋台があって、これを活かしたいなと思っているんです。
――「MY屋台」ですか!? 珍しいですね。(笑)
兄の知人からのいただきものなんですが、コロナ禍にNPO団体が運営する喫茶店をお借りして個展を開いた際に、「今だからこそ、対面によるコミュニケーションの大切さを伝えるきっかけにしたい!」と屋台の似顔絵屋さんを同時開催したんですね。値段は設定せず、「お気持ちでお願いします」として、収益は場所をお借りした喫茶店にすべて寄付をしました。
この経験がとても楽しかったので、またやりたいなぁと思っているんです。
屋台が出ていることで、自然と子どもたちが集まったり、近隣住民の方のコミュニケーションが生まれたりする。こんなふうに、街づくりの一端を担う働きができたらいいなぁと思っています。
――きっと、「人」が好きなんですね。
学校に限らず、人が集まる場所が好きなんでしょうね。余談ですが、最近では子どもが通っている幼稚園のサークル活動として、お父さんバンド「おっとっと」に参加して、パパ友たちと音楽活動も楽しんでいます。
――荒木さんの周りにはたくさんの笑顔が生まれているのだろうなと感じます。素敵なお話をありがとうございました!