国内だけでなく、海外でも活躍しているサックス奏者・安武玄晃(やすたけ・もとあき)さんが初めて教会へ足を運んだのは23歳の頃。「イエス・キリストに出会うことがなかったら、プロの演奏家としての道も拓かれることはなかった」と言います。そんな安武さんの、人生のターニング・ポイントについて伺いました。
――公式プロフィールによると「病をきっかけに16歳から本格的にアルトサックスを学び始めた」とのことですが、改めて楽器との出合いについて教えてください。
子どもの頃から喘息があって、お世話になっていた病院の先生に小学6年生のときに「管楽器をやってみたら?」とすすめられたのがきっかけでした。
当時の僕には、これといった趣味もなかったので、「やってみて楽しかったら続けよう」という感覚でしたね。
実際に楽器に触れる機会となったのは、中学校で入った吹奏楽部です。
サックスをひと目見た瞬間に「カッコいい!」と思い、そこからハマっていきました。
――病院の先生が管楽器をすすめられたのは、肺活量を増やすためでしょうか?
何か一つ、好きなものを見つけてほしいという思いがあったようです。
当時の僕は、喘息以外にもたくさんのアレルギー疾患があったのですが、好きなことに熱中していると、そうした色んな症状が改善される人もいるそうなんですね。
プラス、管楽器には気管支を広げ、肺活量が上がるこうかも期待できるから、と。
結果として、自分には管楽器が合っていたんだなと思います。
高校生になってからはプロの方から本格的に学び始め、高校2年生の頃には喘息も落ち着いて――それ以来、それほどひどい症状はずっと出ていないんですよ。
――そうだったんですね。
高校生のときには、自身もプロになりたいと思っていたのでしょうか。
いやいや、全く考えていなかったです。
プロなんて遠い世界のこと、自分には到底無理だと思っていました。
だから、高校卒業後は音楽とはまったく関係のない業種に就職して、ときどき趣味でやっているくらいでした。
――教会に行きはじめたのはいつ頃ですか?
23歳のときに、地元の同級生に誘われて初めて行きました。
といっても、初めはキリストにも聖書にも興味がなくて、「こいつはどんな所に行っとるんやろ」、「変な所で洗脳されとらんかいな」と、見定めようというか。
経験として、人生で1回くらいは、教会に行ってみてもいいなという感覚でした。
――その感覚、すごくわかります。私もまさにそうでした(笑)。
実際に行ってみて、いかがでしたか?
みんなすごく歓迎してくれて、優しいし、仲良くもなれたけれど、正直、まだ興味は持てなかったですね。
驚いたのは、楽器がたくさんあったことです。
僕を誘った友人がベースを弾いていて「今度、教会でコンサートをやるから見に来てよ」と言われて行ったのが2回目でした。
そのときも「どんなもんだろう」とちょっと軽い気持ちで行ったのですが、すごく感動したんです。
いわゆる讃美歌じゃなくて、ファンキーな曲も演奏したり、照明も本格的で楽しくて。
「またサックス始めてみようかな」と思ったのもこのときでした。
そこから、教会の人に「『アメイジンググレイス』を覚えて、礼拝で一緒に演奏しようよ」と誘ってもらって、礼拝で精いっぱい演奏したらみんながすごく喜んでくれて、それが嬉しくて次の週も行くようになって…と通うようになって。
でも、まだ信じていたわけではなかったと思います。
あるとき、韓国・釜山から来た宣教師の方が、僕の目をじっと見つめて「あなたはクリスチャンですか?」と聞きました。
「いえ、違います」と答えたら「聖書を読むことをぜひおすすめします」と言うんです。聖書を知っているのと知らないのとでは、人生が大きく変わってくるからって。
さらに、聖書が毎年世界で1番売れていることや、音楽の源も聖書であり、神様が音楽を作ったこと、歴史を見てもバッハやたくさんの偉大な作曲家たちが聖書をもとに曲を作っていることなどを教えてもらって、読んでみたいと思うようになりました。
僕が最初に衝撃を受けたのは第2コリント5章17節です。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(コリント人への手紙 第二/5章17節)
それまで、教会はクリスチャン家系の人など、キリスト教に関わりが深い人しか礼拝に参加してはいけないと思い込んでいたんです。
“誰でも”ということは、自分も毎週教会に来てもいいんだ。自分のように全然違う道を歩んできた人たちも、キリストと共に歩めば新しくされるんだ、と。
それってすごいことだし、ここから自分が変われるんじゃないかと未来に希望が持てました。
――当時、どんな生活を送っていたのでしょう。
高校卒業後、大半の友人が大学に進学する中で、自分は特にやりたいこともないし、働きながらやりたいことを探せばいいと就職する道を選び、ひたすら働いていました。
でも、ずっと「自分はこのままどうなるんだろう」「この仕事を続けていていいんだろうか」という不安を抱えていたんですね。
就職して3年目からは給料も上がり、ボーナスももらえるようになって、お金には本当に困っていなかったんですよ。
好きな車にも乗っていたし、20歳ごろにはヴィトンやグッチなど高級ブランド品を身に着けていました。
高級ブランドを身に着けている=すごく価値があると思っていたというか…今考えるとイタい奴でしたね(笑)。
でも満たされなくて。
お金の有無と幸福度は比例しないんだと思いましたね。
それで、不安から逃れるために週に3回は仕事が終わったら繁華街に繰り出して…という日々でした。
当時はダンスミュージックにハマっていて、深夜まで営業しているクラブやDJバーを朝までハシゴしては、寝ないでそのまま早朝から仕事に出かけるんです。
そうすると夜の遊び仲間ができて、生活もどんどん荒れてくる。
そんな時に、僕を心配したクリスチャンの同級生が「教会に行ってみない?」と誘ってくれました。
あとで聞いたら、彼は僕が「イエス様と出会って救われますように」と祈ってくれていたそうで、洗礼式にも友人と一緒に駆けつけてくれました。
――なるほど、そこで教会とつながるんですね。
でも、自分自身にも覚えがあるのですが、夜遊びをやめるのは大変だったのでは?
大変でしたが…洗礼式の日、「これからはクラブではなく、教会に通います!」って宣言したんですよ。
「だから今日で自分がこのクラブで遊ぶのは最後だ」って。
そうしたら、みんなは「なにそれ、どういうこと?」と不思議そうな顔をしながらも、「なんやよくわからんけど、それはつまり、おめでたいことなんやね!」って言ってくれて、その場でお祝いパーティーが始まって(笑)。
この夜をきっかけに、数か月後に教会に来てくれた仲間もいました。
――面白い! いい仲間たちですね。
そこからは180度、夜の街から教会に完全移行です。
教会が生活のベースに変わってから、これまで自分が価値を置いていたものは本当に小さかったなと気づきました。
あれほど執着していたブランド品にも興味がなくなって、周りの人にプレゼントしたりして、ほとんど手放しました。
それ以来「キリスト」ブランド一筋ですね(笑)。
――キリストブランド、かっこいいですね。
後半に続く。