埼玉県羽生市にある「工房一粒(こうぼう いちりゅう)」。鋳造技術を生かし、家具やモニュメントなど幅広い作品を手がけています。代表の佐藤基道さんは、ものづくりマイスターとして次世代の育成にも力を注いでいます。会社の存続が危ぶまれるほどの経営危機を経験しながらも、「根拠のない勇気」を支えに歩み続けてきたという佐藤さん。その人生とものづくりへの思いを伺いました。
三代続くクリスチャン家系に生まれて
――クリスチャン三代目とのことですが、佐藤さんはどのような環境で育ったのでしょうか。
祖父は戦前、反キリスト教運動に関わっていて、教会を弾圧していました。ところがその活動を通じて教会に出入りするうちに信仰を持つようになり、最終的には牧師になったという変わった経歴の持ち主です。
父は実家が教会で、家計はとても苦しく、中学卒業後に家を出て川崎にいる叔父を頼り、そのまま働き始めました。教会のつながりで高校へ推薦入学できる話もあったそうですが、それよりも「働けばおいしいご飯が食べられる」と思って上京したそうです。
だんだんNC(コンピューター制御)の工作機械が普及してきて、「今から覚えても勝負にならない」と考えた父は、鋳物の勉強を始めます。車のエンジン用金型を作っていたこともあり、鋳物にはもともと縁がありました。
鋳物教室で芸大卒の馬場忠寛先生と出会い、「川口は鋳物の町なのに、工芸として発信する会社がない。それなら自分でやったらいい」という言葉を受けて始めたのが、今の会社です。
当時は鋳物の企画・制作が中心で、自社で鋳造まで手がけるようになったのは僕の代からです。
――ここまでのお話を聞くと、むしろお父様は信仰から離れてしまいそうな気もします。
それが、意外とそうでもなくて。
父には姉が2人、兄弟が3人いるのですが、叔母たちはそれぞれクリスチャンになり、牧師と結婚しました。一方で、男兄弟は父を除いてクリスチャンではないんですよ。
――なるほど。佐藤さんご自身は、いつ信仰を持たれたのでしょうか。
洗礼を受けたのは30代半ばです。
母もクリスチャンホームで育ちましたが、父も母も「信仰は神様に選んでいただくもので、自分の意思で洗礼を受けるもの」という考えでした。
両親とも、子どもの頃に無理やり教会へ通わされた経験があったので、僕たちに信仰を押し付けることはありませんでした。
僕自身に兄弟は3人いるのですが、洗礼を受けたのは僕だけです。
――ご両親は子どもたちの考えを尊重してくださっていたんですね。
そうですね。
僕にも娘がいて、教会には連れて行っていますが、まだ洗礼は受けていません。
小さいうちにクリスチャンになることが悪いとは思いませんが、自分としては、きちんと理解した上で洗礼を受けてほしいと思っています。
洗礼を受けることは、一度死んで、もう一度人生をやり直すようなものだと考えているので。
ただ、僕自身が神様に救われたのは、洗礼を受けるよりもっと前のことなんです。
神様と父と、3人で乗り越えた15年
――佐藤さんが「救われた」経験について教えてください。
僕は小学生の頃から家の仕事を手伝っていました。
当時は学校の卒業記念品の朱肉入れを作る仕事があって、冬になると家族みんなでストーブに当たりながら、熱したヘラで朱肉を伸ばす作業を何千個もしていました。その時間が何より好きで、「この仕事をしながら食べていけたらいいな」と思ったのが、家業を継ごうと思ったきっかけでした。
高校2年生の頃には父の会社を継ぐことを決めていましたが、卒業するとすぐにバブルが崩壊し、一気に仕事が減ってしまいました。
さらに、父が知人の連帯保証人になっていたため、その借金まで背負うことになりました。借金は700万円ほどでしたが、父自身が貸していたお金も含めると総額1,000万~1,200万円くらいになったと思います。
今思えば腹が立ってもおかしくない出来事ですが、不思議と相手を恨む気持ちはありませんでした。「まぁ、仕方がないかな」というくらいで。
あのとき、神様に救われていたのかもしれないと思っているんです。
それから15年ほど、父と毎日のように祈りながら、一日一日を生きてきました。18歳で家業に入り、15年ほどでしょうか。働きながら、少しずつ信仰が育まれていった時間だったと思います。
祈りがなければ、父ともきっと、いがみ合って終わっていたでしょう。神様と父と僕、その三者で何とか苦しい時期を乗り越えてきた、そんな感覚があります。
――「工房一粒」という名前には、どんな思いが込められているのでしょうか。
最初は「一粒工芸製作所」という名前でした。「一粒」は、聖書にある「からし種一粒ほどの信仰」(マタイ17:20、ルカ17:6)に由来しています。
また、からし種は「どんな種よりも小さいけれど、成長すると鳥が巣を作るほど大きくなる」(マタイ13:31~32、マルコ4:30~32、ルカ13:18~19)というたとえにも用いられています。
小さくても大きく成長する会社でありたい。そして、小さな会社でも一流の仕事をしたい。そんな二つの願いを重ねて、「一粒」という名前を付けました。父と母で考えた名前ですが、発案は母だったそうです。

工房一粒が手がけた「羽生蒸留所」の看板
――多感な時期に親の会社へ入り、いきなり厳しい状況に置かれて、反発はしなかったのですか?
なかったですね。というよりも、つらすぎて忘れてしまったのかもしれません。
神様が「もう必要のない記憶だから」と取り去ってくださったのかもしれないですね。
ただ、不思議と「自分なら何とかできるかもしれない」と思っていました。信仰って、「根拠のない勇気」だと思っているんです。父の会社に入るときも、「自分が働けば何とかなるんじゃないか」と、そんな気持ちでいました。
もちろん、現実は甘くありませんでしたよ。
ほぼ24時間営業で働いて貯めた100万円ほどのお金も、「貸してくれ」と言われて、そのまま渡しました。相手は父が連帯保証人になっていた人で、そのお金は結局返ってきませんでした。
残業が月200時間くらいになることもありました。それでも、僕が考えていたのは「ああ、親父が死ななくてよかったな」「会社が潰れなくてよかったな」ということだけでした。気づいたら鋳物の仕事もできるようになり、会社の仕事も一通りこなせるようになっていたんです。
ただ、一つだけ怒っていたことがあります。結婚ができなかったことです。
洗礼を受けたきっかけは「結婚したい」
――仕事が忙しすぎて、それどころではなかったということでしょうか。
恋人をつくる余裕なんてありませんでしたね。出会い以前に、そんな気力もなかったんです。
でも、会社に入って10年ほど経った27歳頃、「やっぱり結婚したい」と思うようになりました。友人に紹介してもらったり、いろいろ動いてみたものの、なかなかうまくいかなくて…。
結婚するならやはりクリスチャンの方がいいなと考えたときに、「そういえば自分はまだ洗礼を受けていない」と気づいたんです。それで、洗礼を受けようと決めました。洗礼までには1年ほどかかりました。
ところが、教会とはまったく関係のない場所で、のちに結婚することになる女性と出会ったんです。「自分はクリスチャンだけど大丈夫?」と伝えたら、キリスト教に興味を持ってくれまして。
その後、彼女も洗礼を受けました。仕事はもちろん、教会での活動でも大きな支えになってくれていて、今では信仰に対する熱心さは僕以上かもしれません。
――すべてが神様の導きだった、と。
本当にそう思いますね。自分で計画を立てた覚えもなく、導かれるままここまで来たという感じです。
神様は祈りをかなえてくださることが多いんです。でも、そのかなえ方が、いつも想像を超えてくる。タイミングもそうですし、「そんな形でかなうのか」と思うような形で導かれることがよくあります。
難しい局面で「この難局を乗り越えさせてください」と祈ると、自分たちでは想像もつかないところから救いの手が差し伸べられることがあります。だから、その結果を受け入れることが、クリスチャンとしての生き方なのかなと。
自分たちのコントロールで頑張った結果が通用しない。それが神様の世界なんです。
“恵み”というのは、大きな目標を立てて取り組んだことよりも、「何となくやってみよう」と始めたことが思いがけず好転して、大きな実りにつながることのほうが多い気がします。
人は、自分が費やした努力と、それに見合う結果が返ってこないと納得できないところがあります。でも実際には、それ以上のものが与えられることがある。その恵みをどう受け入れるかが大切なんじゃないかと思っています。
